小田原城
小田原城

[神奈川県][相模] 神奈川県小田原市城内6-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.84(22位)
  • 見学時間:1時間35分(13位)
  • 攻城人数:5040(8位)

小田原征伐(小田原攻め、小田原の役)

小田原征伐は1590年(天正18年)に豊臣秀吉が小田原城に籠城する北条氏を降伏させ天下を統一した、一連の合戦のことです。
「小田原攻め」や「小田原の役」とも呼ばれます。

なお、小田原城の攻囲戦だけでなく、並行して行われた関東一円にわたって点在する北条氏が支配する各支城の攻略戦も含まれます。

合戦の経緯

いわゆる小田原攻めは1589年(天正17年)10月23日の名胡桃城事件を受けて、11月24日に秀吉が北条氏に宣戦布告をおこなってから、翌年7月5日に北条家当主である北条氏直が降伏するまで半年以上にわたっておこなわれました。

おおまかな合戦の経緯を時系列で並べます。
北条氏側も秀吉の侵攻にそなえてなにもしなかったわけではなく、小田原城の惣構(そうがまえ)を完成させ、さらに八王子城を築城し、山中城韮山城などの支城を改修しました。

日付出来事
天正17年10月23日名胡桃城事件(猪俣邦憲が名胡桃城を攻め取る)
11月24日北条氏に宣戦布告
12月13日秀吉の陣触れ
天正18年2月家康が駿河から出陣(2万)
3月1日秀吉が聚楽第から出陣(3万2千)
3月27日秀吉、沼津に入城
3月28日北方隊が松井田城攻略開始
3月29日山内一豊、堀尾吉晴らが山中城を数時間で攻め落とす
3月29日韮山城攻略開始
4月1日井伊直政隊が足柄城を落とす
4月3日先鋒部隊が小田原に到着
4月19日厩橋城を攻略
4月20日松井田城落城
4月21日家康の説得により玉縄城開城
4月22日家康の説得により江戸城開城
4月23日九鬼嘉隆、脇坂安治らが下田城を攻略
4月24日箕輪城を攻略
5月3日前田利家軍が河越城を攻略
5月5日小金城を攻略
5月9日伊達政宗、会津を出立
5月10日臼井城を攻略
5月14日北方隊が鉢形城攻略開始
5月18日本佐倉城を攻略
5月19日北方隊が岩槻城攻略開始
5月20日武蔵松山城を石田三成、真田昌幸軍が攻略
5月22日岩槻城を攻略
5月22日石田三成軍が館林城を攻略
6月5日忍城攻略開始
6月9日政宗が白装束で出仕
6月14日鉢形城落城
6月23日八王子城を攻略
6月24日韮山城開城
6月26日石垣山城が完成
6月28日石垣山城に秀吉入城
7月5日氏直が降伏
7月11日氏政・氏照が切腹
7月16日忍城開城

小田原城攻囲戦

1590年(天正18年)4月3日には先鋒部隊が小田原に到着し、そこから約4カ月にわたって小田原城を包囲しました。
包囲する豊臣軍は総勢約21万、籠城する北条軍は約5万6千でした。

かつては上杉謙信武田信玄を撃退した小田原城でしたが、それは謙信や信玄の軍勢が基本的に半農半兵だったため、米の収穫期(農繁期)には帰国しなければならなかったからです。
いっぽう、秀吉の軍勢は兵農分離が進み専業武士中心であったため、年単位の在陣さえ可能でした。また長期戦を支えるだけの財力もありました。

秀吉は陣城(対の城)として笠懸山に城を築かせ、ここを本陣に包囲戦をおこないましたが、城ができてから数日後の7月5日、氏直は開城して降伏しました。

ちなみにこの城が「石垣山城」と呼ばれるのは後年になってからの話です。
「笠懸山」と呼ばれていた山に、秀吉が石垣造りの城を築き、それがすぐに廃城となり石垣だけが残ったため、江戸時代になって「石垣山」と呼ばれるようになったそうです。

小田原評定

本来の意味は、北条氏が月2回おこなっていた重臣会議のことです。
五代100年にわたり、家臣・国人の裏切りが皆無に近い北条氏のすぐれた統治システムとして評価されていますが、現在は「だらだらと一向に結論が出ない会議」という意味で使われることが多いです。
これは小田原合戦において、重臣同士の意見がわかれ、結論が出ることなく滅亡にいたったことによります。

   

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今日のレビュー

大阪城話

ブックオフで見つけました。知る人は知る、知らない人は知らない本の内容です。
①大阪城と和歌山城は兄弟(姉妹)城の関係に有る
②名護屋城博物館所蔵の「肥前名護屋城図屏風」は世に出る前、小さく折り畳んだ状態で大阪城天守閣に持ち込まれた
③江戸時代の時間は日の出と日の入りを境に一日を二分し、それぞれ六等分して一時(とき)としたので、夏至・冬至の頃は昼と夜の時間が倍ほど違った
⑤大阪城石垣のふるさとの小豆島には「大阪城残石記念公園」がある
等でなかなか興味を引かれましたが、後半は著者の個人的な話が多くもう一つかも。

麒麟法師(仮)さん)

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