別名 岩原城

己斐古城はこの地の豪族である己斐氏の居城として知られています。要衝の地にあったことからたびたび戦場となりますが、1515年(永正12年)に安芸守護・武田元繁に攻められた際も、己斐豊後守師道入道宗端は撃退しています。宗端は2年後の「有田合戦」において討死すると、その子の己斐直之は毛利元就に従い「厳島の合戦」で要害山城の城代をつとめました。現在城址には展望台があり、案内板が設置されています。登城口は「高須台第一公園」と旭山神社にあります。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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