大窪城は佐竹氏の重臣である大窪氏の8代200年にわたる居城として知られています。もともとは平氏の一族である大掾宗幹が愛宕山に築城したことにはじまります。応永年間に奥州石川氏から石川茂光を養子に迎え、その茂光が天神山城、大窪城を築きました。居城の大窪城、詰城の天神山城、出城(砦)の愛宕山城とそれぞれ一体となって機能していたようで、3つの城をまとめて大久保城と呼ばれたり、「大窪三城(大久保三城)」と総称されたりしています。1602年(慶長7年)に佐竹氏が秋田に転封された際に廃城となっています。その後城址は常光寺の境内となり、1839年(天保10年)に本丸跡に水戸藩の郷校、暇修館が建てられました。現在城址には暇修館が復元されており、周囲には土塁や堀が残っています。
大窪城に関するデータ 情報の追加や修正
55 m( 10 m)
内郭:-- 外郭:--
大掾宗幹
着工 1177年(治承元年)
1602年(慶長7年)
大掾宗幹、石川氏
曲輪、土塁、堀
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 55 m( 10 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 大掾宗幹 |
築城開始・完了年 | 着工 1177年(治承元年) |
廃城年 | 1602年(慶長7年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 大掾宗幹、石川氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/27 03:47:28
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | あり |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
大窪城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する