別名 郡黒丸城、黒丸城

小黒丸城は越前守護・足利尾張守高経(斯波高経)によって築かれた城で、足羽七城のひとつとされます。1338年(建武5年/延元3年)の「藤島の戦い」では、藤島城へ向かおうとしていた新田義貞は、この城から出た援軍に遭遇して討死しました。翌年には義貞の弟である脇屋義助の軍勢に攻められ、高経は城を捨てて加賀に落ち延びましたが、さらにその翌年に奪還しています。日野川と九頭竜川の合流点付近に位置していましたが、現在は河川工事などの影響で遺構は残っておらず、城址碑と案内板が建てられています。小黒丸城と大黒丸城を総称して「黒丸城」とも呼ばれることもありますが位置が離れていることとそれぞれに城址碑があることを考慮して別の城として扱っています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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