茂福城は越前朝倉氏のもとにいた平貞冬が築城した城です。貞冬は築城当初は朝倉氏を名乗り、のちに地名から茂福氏を名乗っています。茂福氏は1560年(永禄3年)に羽津城の田原氏と争い、神戸氏の援軍もあり勝利しています。1567年(永禄10年)、最後の城主となる茂福盈豊が六角承禎との内通を疑われて、滝川一益により殺害されました。その後、一益は山口次郎四郎を置いています。現在城址には城址碑と案内板が建てられており、近鉄名古屋線の線路沿いに「茂福城跡」と書かれた看板があります。1977年(昭和52年)におこなわれた発掘調査で外堀の一部とされる遺構や土器、山茶碗などが見つかっています。
茂福城を訪問した111人の報告によれば、平均見学時間は17分、平均評価は2.57点となっています。
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