新城古城は菅沼定継の居城として知られています。その後、定継が田峯城へ移ると、弟の定氏が城主となりました。また、1562年(永禄5年)に起きた「石田合戦」の舞台としても知られています。定氏らはこの合戦で今川方の軍勢を撃退するも城の損傷が激しかったため、新たに端城城(杉山端城)に築いて移り、廃城となりました。現在城址は宅地化されており、遺構はありません。なお、のちに奥平貞昌が新城城を築いたため、これと区別するために「新城古城」と呼ばれていますが、当時は「新城(しんじょう)」と呼ばれ、現在の「新城(しんしろ)」の地名の由来となったとされます。
新城古城を訪問した106人の報告によれば、平均見学時間は15分、平均評価は1.56点となっています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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