端城城は大谷城主・菅沼定忠の孫、菅沼定氏によって築かれた城です。菅沼氏は大谷城を御城(ごじょう)、石田の城(新城古城)を新城(しんじょう)、この城を端城(はじょう)と呼びましたが、端城には「支城」という意味があります。その後、定氏は新たに道目記城を築いて移りましたが、城は維持され家臣が城代をつとめました。1575年(天正3年)の「長篠の戦い」後に長篠城主・奥平信昌が新城城を築くと、その支城として使われ、以降領主を替えながら、1645年(正保2年)に水野元綱が上州に移封され天領となったのを機に廃城となりました。現在城址に遺構は残っていませんが、国道151号線沿いに「杉山端城跡」と書かれた城址碑が建てられています。
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