端城城は大谷城主・菅沼定忠の孫、菅沼定氏によって築かれた城です。菅沼氏は大谷城を御城(ごじょう)、石田の城(新城古城)を新城(しんじょう)、この城を端城(はじょう)と呼びましたが、端城には「支城」という意味があります。その後、定氏は新たに道目記城を築いて移りましたが、城は維持され家臣が城代をつとめました。1575年(天正3年)の「長篠の戦い」後に長篠城主・奥平信昌が新城城を築くと、その支城として使われ、以降領主を替えながら、1645年(正保2年)に水野元綱が上州に移封され天領となったのを機に廃城となりました。現在城址に遺構は残っていませんが、国道151号線沿いに「杉山端城跡」と書かれた城址碑が建てられています。
端城城に関するデータ 情報の追加や修正
55 m
内郭:-- 外郭:--
菅沼定氏
着工 1562年(永禄5年)
1645年(正保2年)
菅沼氏、奥平氏、片桐氏、菅沼氏、水野氏
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 単郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 55 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 菅沼定氏 |
築城開始・完了年 | 着工 1562年(永禄5年) |
廃城年 | 1645年(正保2年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 菅沼氏、奥平氏、片桐氏、菅沼氏、水野氏 |
遺構 | |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:41:38
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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