瀬田城は北条氏の家臣、長崎伊予守重光の居城です。重光は小田原にあった行善寺を居城に移し、出家後は行善入道と名乗っています。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に廃城となりましたが、北条氏滅亡後も長崎氏はこの地にとどまり、代々名主となりました。城址には行善寺が現在も存在しており、ゴルフ練習場「瀬田モダンゴルフ」の入口に「長崎館跡」と書かれた石碑があります。なお行善寺は江戸時代には「玉川八景」のひとつに数えられた景勝地で、現在も「せたがや百景」に選ばれています。
瀬田城を訪問した142人の報告によれば、平均見学時間は24分、平均評価は1.82点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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