聚楽第本丸西濠跡は、現在の正親小学校の校門横に石碑と看板が設置されています。
正親小学校のフェンスには、京都弁で書かれた聚楽第の案内が掲示されています。
聚楽第は「じゅらくてい」と読みます。「じゅらくだい」というても構いまへん。
聚楽第はいまから四百年余り前に太閤秀吉(たいこうひでよし)はんがこの辺りに建てはった建築群で、いまの二条城みたいに壕と石垣で囲まれてたんで外見はお城みたいどした。中には行幸御殿、天主御殿、その他の屋敷群、茶屋などが建てられ、池と庭園がおました。それはようけでけてたらしいどす。
ここ(裏門通り)は聚楽第の西側の壕があった場所どす。ここから二百五十メートル東、いまハローワークやユニクロがあるところ(大宮通り)に東側の壕がありました。そのハローワークを建てるときに地面を掘ったら聚楽第屋敷の瓦が出てきました。瓦には金箔が貼られていて、いまは国の重要文化財になっています。それを記念してハローワークの向かいに「聚楽第址」の石碑があります。
その石碑(東壕跡)と、いまご覧のこちらの石碑(西壕跡)との間が聚楽第のあった場所やったということになります。
聚楽第は竣工して八年後に或る理由で完全に取り壊されてしまいました。当時の記録も余りあらしまへんので、ほんまはどうやったんかよう分かりまへん。
この石碑のおかげでこの辺りに聚楽第があったんやということが分かるだけどす。