富士見城の築城年代は定かではありません。大井氏が滋野氏に対する備えとして築いたとする説、武田信玄が天文年間(1532年~1554年)に佐久地方へ進出した際に拠点である鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備したとする説などがあります。武田氏滅亡後、徳川氏・上杉氏・北条氏に加え、真田氏が信州の支配権を争った「天正壬午の乱」の際には徳川家康の家臣である柴田康忠が一時居城としました。その後、豊臣政権下で仙石秀久が小諸城主となってからも小諸城の支城として存続しましたが、元和の一国一城令で廃城となりました。現在は「飯綱山公園 歴史の広場」として整備されており、城の名前のとおり、晴れていれば富士山を遠望することができます。また飯綱山全体が岩山であることから、信州の城としては珍しくほぼすべての曲輪で石積みが使用されています。
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