別名 宇多津城、平山城

聖通寺城は奈良氏の城として知られています。1582年(天正10年)、讃岐攻略を目指す長宗我部元親が1万2千の軍勢で聖通寺城を攻めると、奈良氏は城を捨て、勝瑞城の十河存保を頼り逃亡しました。その後、1585年(天正13年)の羽柴秀吉による四国攻め(四国征伐)で元親は降伏し、讃岐には仙石秀久、尾藤知宣が入りますが、両人とも失脚したため、1595年(文禄4年)に生駒親正が17万石で讃岐に入封します。親正は当初、引田城を拠点としていましたが、讃岐の東に偏っていたため聖通寺城に本拠を移しましたが、1588年(天正16年)に新たな居城として高松城を築くと廃城となりました。現在、城址は「常盤公園」として公園化しており遺構はありませんが、南側の山頂には「聖通寺山城」の石碑があります。なお、山麓にある聖通寺の本堂は、徳川光圀の実兄で高松藩初代藩主の松平頼重によって建立されたもので、仙石秀久愛用の巨大薬缶が残っているそうです。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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