攻城団からのお知らせ

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丸岡城にマンガの取材旅行にいってきました

先週末は新作マンガの取材のために、大久保先生といっしょに丸岡城を訪問してきました。
昨年末に公開した七尾城のマンガにつづいて、第二弾はここ丸岡城が舞台となります。

寒波の影響で全国的に雪が降っており天候だけが心配だったのですが、2日間の取材で吹雪くことはなく、かえって雪国・丸岡をちゃんと見ることができたかなと思っています。

福井駅でコースケさん、大久保先生と合流して、JRで丸岡駅へ。駅からタクシーで丸岡城へ向かいます。
ずっと曇り空だったのですが、現地に着いた瞬間に青空が少し見えたので、ランチをあとまわしにしてまずは天守の写真を撮りにいきます。

丸岡城の天守は古風な望楼型で附櫓などがいっさいない独立式天守である上、しかも漆喰などの加工がされていないむき出しの板張りなので、ひと目でわかるくらい特徴的ですね。

天守内はあとで見学する予定なので、いったん戻ります。
初日はまず、丸岡城国宝化推進室を訪問してお話を伺いました。

左から上中さん、角さん、堤さん

丸岡の歴史、丸岡城の構造、当時の城下町や特産品のことなど、いろいろと教えていただきました。
明治時代、廃城令後にはこの丸岡城もほかの多くの城と同じように払い下げになったわけですが、その際、天守の価格が他の建物より安かったというのも意外でした。
また現在の丸岡城は平地の丘にぽつんと天守があるように見えますが、当時は大きな五角形の内堀があったことを江戸時代に描かれた「正保城絵図」をもとに教えていただきました。

ぼくがいちばん興味をそそられたのは、丸岡の方が話す言葉は抑揚が少なくて延岡と似てるという話で、学術的な根拠はないとおっしゃってましたが、有馬氏がもともと延岡から来ているので方言のルーツが同じといえなくもないですよね。
今回の取材旅行でぼくらがいちばん強く再認識したのは、丸岡の歴史において柴田勝豊や本多成重といった戦国〜江戸前期の城主(藩主)が注目されがちですが、じつはもっとも長くこの地を統治したのは有馬氏なんですよね。1695年(元禄8年)に丸岡藩主となった有馬清純以降、8代174年にわたって有馬氏が支配しています。

前回の七尾でのマンガもそうですが、ぼくらは史実を掘り下げて、いままでとは異なる切り口でその地の歴史を紹介したいと思っているので、「今回、丸岡藩と有馬氏の歴史は狙い目かもしれないぞ」と思いながら話を聞いていました。
じっさい福井県の民俗文化財にも指定されている「日向神楽(ひゅうがかぐら)」は清純が延岡から舞手を連れてきて、それがいまでも継承されて残っているんです。こうした文化が伝わっていることも多くの人に知ってもらいたいですね。

つづいて、天守に戻ってボランティアガイドをなさっている大霜さんに話を伺います。

まずビデオを見せてもらいました。

大霜さんには翌日も案内していただくのですが、ほんとうにわかりやすかったです。
よく勉強されていたし、学んだ知識をただ暗記して話すんじゃなく、関連情報も含めてちゃんと整理して理解されてることが説明からもよく伝わってきました。こうした素晴らしいガイドの方が全国各地にいらっしゃることを攻城団としてももっと広く伝えていきたいと思いました。

まずは天守を外から見ます。

丸岡城は天守台と天守が微妙にずれてるそうです。なので石落としが機能しないとか。
ようは普請と作事の連携ができてないということなのですが、ほかにも床面から高すぎる鉄砲狭間があったり構造的な欠陥がかなりあるそうです。

江戸時代に入っても漆喰が使われず、板張りだったことからも防火性はほぼ皆無で、おそらく天守の防御性はほとんど考慮されていなかったのかもしれません。
ぼくは常々、天守を囲まれた時点でもう負けは確定しているのだから「天守を最終決戦の場として云々」という話は疑わしいと思っているのですが、もしかしたら丸岡城の天守は「そこで戦う」という実用性は捨てて、あくまでも見栄えのみを優先してデザインされたのかもしれませんね。

天守に入ります。

ぼくは10年近く前に一度ここに来ているのですが、この急な階段のことはよくおぼえています。

その頃はこんなジオラマはなかったんじゃないかな。

丸岡城の天守の特長のひとつが柱を地中に埋める「掘っ立て柱」構造であることが挙げられるそうです。

これもふつうに考えたらデメリットしかないので、なぜ採用したのかはわからないそうです。
同時期に安土城の築城があったから腕のいい職人はすべて安土に取られていたから構造的欠陥が多いという仮説もあるそうですが(それはそれで説得力がありますね)、でも何度も修復の機会はあったはずなので謎ですね。

石落としも見せていただきました。たしかに半分以上が天守台に重なっていて、敵を狙うのが困難です。

丸岡城を訪問されたことのある方ならわかると思いますが、2階へ上がるときはこんな感じになります。

懸魚の裏側です。裏から見ることができる天守も少なくないですかね?

丸岡城の最大の特長でもある笏谷石の石瓦ですね。

石瓦を採用したのは雪対策ではなく、寒さ対策だそうです。当時の瓦では染み込んだ水が凍ることで割れてしまうんだそうです。
北ノ庄城にも石瓦が使われていたそうで、柴田勝家の一門(甥)である柴田勝豊が北ノ庄城にならって、丸岡城にも使わせたのかもしれないとおっしゃってました。

3階へ上がる階段はさらに急勾配です。

丸岡城は1948年(昭和23年)に起きた福井地震で全壊しています。そのため現存じゃないとか、築城年を柴田勝豊が築いた1576年(天正4年)とするのはおかしいとかいろいろいわれているのですが、倒壊したものの幸いにして火災にはならなかったので大半の部材は再利用することができました。ちょうど1940年(昭和15年)〜1942年(昭和17年)にかけて解体修理がおこなわれていたので詳細な記録が残っていたことも再建にかなり役立ったそうです。

再建工事は1951年(昭和26年)からはじまり、1955年(昭和30年)までかけておこなわれたのですが、じつはこんなふうに元は別の柱と結合していただろう部分が露出されていたりと、柱をまちがえて使っているところもちらほらあります。

天守全壊や再建の話はあまり積極的に語られていない印象でしたが、これも立派な丸岡城の歴史ですし、そこには多くの方の支援や情熱があったはずなので、未来に語り継いでいってほしいです。
天守を建てたのは殿様かもしれないけど、現代に至るまでそれを維持してきたのは多くの人々の力です。その価値は「国宝」や「現存」といった肩書よりもはるかに尊いものだとぼくは思います。「柱をまちがえちゃった」というのも人間味があって素敵なエピソードだと思うんですよね。

階段を上から見ると、ほぼ垂直に感じます。

途中になぜか鉄砲狭間がありますね。
のぞいて見たのですが、破風の石瓦が目の前にあって、鉄砲で狙うどころか、監視のための窓にもなりそうにありません。

世界遺産・姫路城にも構造的欠陥がありますが、ぼくはこういうのを見つけるとその城のことがますます好きになります。担当者は怒られたのかなあとか、どんな言い訳したのかなあとか想像しちゃいますよね。

初日はここまでです。

ぼくらは福井駅前のホテルに戻って宿泊しました。
寒さに耐えたのもあったけど、凍ってる道路で転ばないように慎重に歩いていたのでやたら疲れましたね。3人ともいつもより早く就寝したっぽいです。

2日目も相変わらずの雪景色です。

この日も大霜さんにガイドをお願いして、城下町を歩きます。

内堀は完全に埋められていますが、外堀は一部ですが、川を利用していたところなどがいまも残っています。

この国神神社(神明社)はもともといまの天守の位置にあったものをこの地に移されたんだそうです。
継体天皇の子である椀子皇子(まろこのみこ)が祀られており、境内には最後の丸岡藩主・有馬道純が寄進した灯篭もあるとか(この日は見学せず)。

白道寺です。
坂井市には有馬氏にかかわる寺院が3つあるそうで、ここは家臣の菩提寺で、いまでも子孫の方たちが供養のために集まっているそうです。

奥にお墓もあるそうなのですが、あまりに雪が深くて諦めました。

つづいて台雲寺です。
ここは有馬氏が島原にいた頃からの代々の菩提寺で、延岡、糸魚川、そして丸岡と有馬氏とともに移ってきています。

ご住職がいらっしゃったのでお話を伺うことができました。

さらにこの寺に納められている有馬晴信の木像も見せていただきました。

もうひとつの有馬氏の菩提寺である高岳寺はちょっと離れているのであとで向かうことにします。

道路の積雪もすごかったです。

城下には本多氏の菩提寺である本光院も残っています。
もともとは白道寺の位置にあったそうですが、藩主が有馬氏に代わったときに移転させられたそうです(よくある話ですね)。

ここの雪はかなりヤバかったです。

あの奥に並んでいる大きな五輪塔が歴代藩主のお墓なのですが、すごい雪です。

ぼくだけ長靴だったので、接近しました。
(というか振り返ったら誰もついてきてなかった)

雪が積もった天守は風情があっていいんだけど、城下町散策にかんしては雪の季節じゃないほうがいいですね。石碑とかもいろいろ埋まっちゃってて読めないし。

ただ思ってたよりも城下町の雰囲気がしっかり残っていたことに驚きました。

朝早くから約2時間ガイドをしてくださった大霜さんにお礼を伝えて別れたあと、ぼくらは歴史民俗資料館を見学して、そのあと一筆啓上茶屋でランチを食べました。
ぼくはソースカツ丼セットです。じつは前日の夜も、この日の朝もソースカツを食べたので3食連続です。

そのあとは近くの「一筆啓上日本一短い手紙の館」に少しだけ寄りました。

この展望エリア(廻縁)からも丸岡城の天守がよく見えるということで寄ったのですが、つららがすごかったです。

残念ながら、インスタ映えするような写真はうまく撮れませんでした。

そこからタクシーで高岳寺へ。
歩いても15分程度のようですが、雪が深かったので安全策で。

ここは丸岡藩に移ってきてから建立された有馬氏の菩提寺で、歴代藩主のお墓があるということで立ち寄ったのですが、やっぱりすごい雪が積もっていました。

お寺の方にスコップを借りて、雪かきをしながら進みます。

ただ苦労した甲斐がありました。ほんとうにすごい墓所です。

ご住職に少しお話を伺うことができたのですが、この巨大な五輪塔も福井地震で倒れてしまったのを地元の方々の協力で戻したそうです。こういうひとつ一つのエピソードがその土地の歴史なんですよね。
ちなみにこの高岳寺は徳川家康の養女を母に持つ有馬康純が、家康の信仰する天台宗を大事にするために開山した寺院で、有馬氏とともに延岡から移転してきました。現在は坂井市で唯一の天台宗寺院とのこと。やはり越前一向一揆で知られるように、このあたりは浄土真宗が大半だそうですね。
(余談ですけど家康はもともと熱心な浄土宗の信者で江戸に移ってからも増上寺を菩提寺にしていましたが、天台宗の僧侶である南光坊天海と関係が深まるにつれて寛永寺を建立してこちらも徳川家の菩提寺になりました)

こうして2日間にわたる取材を終えて、福井駅に戻り、それぞれ帰宅しました。
ちなみに福井駅の駅前には恐竜がいます。動いたり吠えたりしててびっくりしますね。

今回の取材旅行ではぼくとコースケさんのふたりで700枚をこえる写真を撮影していました。もちろん写真の枚数が多ければいいというものではありませんが、それだけ見どころの多かった充実した取材であったことはいえると思います。
前回の七尾同様、今回の丸岡でも現地を訪問し、現地の方の話を聞いてからマンガのストーリーを考えるようにしていますが、やはりそれは正しかったと実感しました。訪問前にはWikipediaを読む程度の予習しかしてないのですが、そこに書いてない素敵なエピソードをたくさん伺うことができました。

またおもしろい人に会えるというのも取材旅行の醍醐味です。取材全体をコーディネートしてくださった坂井市観光連盟の吉田さん、ぼくらをサポートしてくださった一筆啓上茶屋の辻店長、学術的な話を教えてくださった丸岡城国宝化推進室の上中さん・角さん・堤さん、2日間にわたってガイドをしてくださった大霜さん、台雲寺や高岳寺のご住職など、魅力的な方々とお会いすることができ、たくさんの話を聞かせていただきました。
この場を借りて、あらためてお礼を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

この先のスケジュールですが、マンガの公開は4月を予定しています。
その後はまだ未定ではあるものの、完成記念イベントみたいなこともやってみたいなと思っています。福井はぼく(京都)とコースケさん(七尾)のちょうど中間にあるので、集まりやすいことが今回わかりましたし。さらに都内でも丸岡城の魅力を伝えるようなイベントをやれたらいいなと思っています。
などなどまだ構想中ではありますが、ひとりでも多くの方にマンガを読んでいただき、また丸岡城に興味を持っていただくきっかけをつくりたいと考えているところです。

そしてこの素晴らしい丸岡城を訪問するバスツアーも現在参加者を募集していますので、ぜひお申し込みください!
3月なので雪もとけて過ごしやすいと思いますし、ぼくらがお願いしたようにガイド付きですべてのお城を見学できるようになっていますので、個人旅行とはまたちがった体験ができると思いますよ。

(一泊二日)福井県の名城めぐりバスツアーの詳細を表示する

すごく長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

マンガコンテンツ制作は一般社団法人北陸地域づくり協会による「北陸地域の活性化」に関する研究助成事業の支援をうけています
   
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