攻城団からのお知らせ

会津若松城(鶴ヶ城)の観光客入込数を見て思った、脳で味わう旅の重要性

福島県会津若松市が、2015年に会津若松城を訪問した観光客の人数を発表してました。

攻城団では過去の数字も拾っていたので、さっそく入力してグラフ化してみました。

この手の数字は翌年に修正されてたりするので若干の誤差はありますが(会津若松市のデータも次年度に更新されてたりします)、トレンドをざっくり捉えるぶんには十分です。

さて。 こうやって見ると、2013年が異常値で、もともとのポテンシャル(60万人くらい)に戻ってきたという感じですね。 では2013年になにがあったのか。 この10年間で会津若松市に影響を与えてそうなトピックとしては
  • 赤瓦葺き替え工事(2010年)
  • 東日本大震災(2011年)
  • NHK大河ドラマ『八重の桜』放送(2013年)
などがあります。 見事にこれがそのまま当てはまってますね。2010年には市内最大のイベントである「会津まつり」の会津藩公行列が大雨で中止にもなってるようです。 是非はともかく、また好き嫌いはさておき、これがひとつの現実かなと思うのです。 テレビをはじめとするメディアで紹介される機会が増えて、すなわち世の中に流れる当該エリア・当該施設(この場合は会津若松城)の情報量の多寡によって観光客入込数はほとんど決まってしまいます。 そのことがまちがっているとは思いませんし、少なくとも単年では結果につながるわけですから、短期的な取り組みとしてはとても正しいと思います。 平行して中長期的な施策をやればいいんですよね。 『八重の桜』というコンテンツを入口にして、そこから会津という土地、歴史、文化に興味を持ってもらって、再訪の機会を創出できないのか。 ぼくが考えるのはいつもそこです。 たとえばドラマの後半、クライマックスでもある「戊辰戦争」で会津若松城は大砲でボッコボコにされますが、これは小田山から鍋島藩所有のアームストロング砲をぶっぱなしています。 (コンテクストとしてはここで鍋島藩が出てくるので、さらにいろいろ派生していけるんですけど、ひとまず置いておきます) この小田山、じつは上杉景勝が会津に入った際に「あそこからお城が丸見えだからヤバいね」って話してたそうです。 そこで直江兼続が「じゃあ会津120万石にふさわしい城を築きますか」と築城を開始したのが神指城です。神指城ってマイナーだけど、それは未完だったからなんですよね。 完成する前に「関ケ原の戦い」が起きてしまったので、いまはほぼ遺構もなくただの田畑になってます。 あのとき神指城が完成していて居城を移していたら、いや上杉時代に完成しなくても蒲生家や加藤家、保科家(会津松平家)が工事を継続してたら戊辰戦争の結果は変わっていたかもしれません。まあ多少長期化したくらいでしょうけどね。 あるいは「なぜ保科家は最後まで幕府側についたのか」という切り口で、初代藩主・保科正之までたどるのもおもしろいですよね。 正之は町娘との間にできた徳川秀忠の隠し子で、恐妻家であった秀忠が(奥さんは大河にもなったお江の方ですね)バレちゃまずいということで、武田信玄の次女で、アナ雪こと穴山信君(梅雪)の正室である見性院に預けられました。 ほら、もうこれだけでいろんなスター武将につながっていきます。アナ雪は本能寺の変のどさくさで死んじゃいましたけど、奥さんは江戸時代まで生きて徳川家に大事にされてたんですね。 で、見性院は武田家出身なので、その縁で旧武田氏家臣である信濃高遠藩主・保科正光に預けられ、正光の子として育てられたわけです。 その後、自分の兄である家光と対面し、家光は弟のことをすごくかわいがったそうです。 死の直前にも正之を呼んで「徳川宗家を頼むね」といいのこしたそうです。そういう経緯があって、正之は「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」にはじまる『会津家訓十五箇条』を定めました。 この「将軍家への絶対的忠誠」こそが会津藩保科家の規範だったんですね。それを子孫の松平容保はしっかり守ったと。 ほらこれだけで幕末と江戸初期がつながった。 ちなみに正之は江戸城が家事で焼失した際に「天守の再建のような無駄な出費よりも江戸の町の復興にお金を使うべき」と主張した人でもあります。いま江戸城に天守が残ってないのは正之の実直な性格ゆえのことなんですね。 (ぼくとしては再建しといてほしかったなあと思いつつ、でもまあ再建したところで江戸時代のどこかでまた燃えてたでしょうね) 正之はもともと高遠藩主だったこともあり、じつは会津もおそばが有名です。 「高遠そば」と呼ばれてますけど、それは正之が高遠藩から職人を連れてきたからです(じっさいには出羽山形藩を経てるので、職人を連れ回してます)。 こんなふうにいろんな出来事や人物とつなげて歴史を立体的に味わうととても楽しいです。 もちろんここに書いたように一箇所で完結することは少なく、いろんな土地をめぐって全体をとらえることになりますから、観光促進の観点でいえば「会津に来た人」に越後や高遠を紹介し、同様に「越後や高遠を訪問した人」に会津を紹介してもらうような広域の連携が重要になってきます。 攻城団はそもそも自分たちがほしくてつくっただけのサービスですが、つくってから気づいたのがこうした広域連携、コンテクストを軸にしたツアー、ライフワークとなるような終わらない旅、の基盤になれるということです。 あ、べつに宣伝したかったわけじゃないんだ。いかんいかん。 でもここに書いたことは正直な気持ちです。 フィルムコミッションなどを設立してドラマの誘致など短期的施策はこれまでどおりがんばりつつ、来てくださった方にただ景色を見てもらうだけでなく、その土地の歴史や文化をわかりやすく、そしておもしろく伝えていくことにも取り組んでいきたいですね。 目(見る)や口(食べる)はもちろん、脳でも現地を味わってもらうような施策をいっしょに考えられるといいなと思ってます。

会津若松城(鶴ヶ城)の観光客入込数

入城者数(人)
2004年602,192
2005年580,288
2006年626,929
2007年650,724
2008年623,952
2009年734,142
2010年500,510
2011年492,136
2012年593,000
2013年945,298
2014年599,365
2015年622,587
   
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