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福知山城を攻城(1)福知山城の歴史

こんにちは。
先日、福知山城を攻めてきました。京都市内からだとクルマで1時間半くらいで着きますね。
電車からも見える距離にありますので、JR福知山駅からも徒歩15分くらいで着けると思います。

DSC01202

福知山城の歴史

福知山城といえば明智光秀で、お城の入口にも「光秀くんとひろこさん」のパネルが置いてありました。

DSC01189 このキャラクターは「忍たま乱太郎」の作者、尼子騒兵衛さんによるもので、城内にも「忍たま乱太郎」のポスターが貼ってありました。かわいいけど、ちょっと間抜けっぽいですね。知将感ゼロ(笑) もともとこのあたり(丹波国)は小さなお城がたくさんあったみたいですね。福知山地方にも塩見頼勝という国人がいて、彼が築いた掻上城がはじまりのようです。塩見頼勝が姓を横山に改めたので、その城は横山城と呼ばれるようになりました。 明智光秀が福知山に入るのは、織田信長の命令です。 当時、信長は中国攻め(ぶっちゃけ毛利攻めですね)を秀吉と光秀に命じていて、秀吉は姫路を通る瀬戸内海沿いの山陽道から進軍したのに対して、光秀は山陰道側より攻めています。 じっさいクルマで国道9号線を走っていると福知山に向かう道路には「鳥取まで120キロ」という看板がありました。京都からだと亀岡市や南丹市を抜けていくわけですが、これは本能寺の変で光秀が京に向かって通った道でもありますね。 (本能寺の変については、後日ちょっとまとめますね) 丹波地方の敵は赤井直正、波多野秀治になりますが、光秀は数年で丹波国を平定して、横山城を福智山城と改名し、近世城郭へと大修築したそうです。 「福智山城」というのは、おそらく明智の「智」の字をあてたんでしょうけど、信長に怒られなかったのかなあ。光秀の本拠は近江坂本だったので、この福知山城には城代として娘婿の明智秀満を置いています。 これが1579年(天正7年)のことで、その3年後の天正10年(1582年)には本能寺の変が起きています。 けっきょく光秀が福知山を治めたのは3年間だけだったんですね。 だけど、(福知山城の初代城主であったことに加えて)光秀がこの地で善政をしいたことから、地元福知山市では現在も強く支持されてます。 だからこそ福知山観光協会のイメージキャラクターになってるんでしょうしね。 本能寺の変、山崎の戦い(山崎の合戦)の後、福知山城は丹波亀山城(これも光秀の城でしたね)を居城とする羽柴秀勝が城主となっています。秀吉の甥のほうですね。 「羽柴秀勝」は同じ名前の人物が3人もいるのでややこしいんです。ひとり目が長浜城主時代に側室との間にもうけた実子(幼名は石松丸で6歳で夭折)の秀勝で、次が織田信長の四男で秀吉の養子になった秀勝で(18歳で病死)、もうひとりが秀吉の姉である日秀(とも)と三好吉房の子で豊臣秀次の弟です。今回はこの3人目の「羽柴秀勝」です。ああややこしい。 ちなみに2番目の秀勝が清洲会議で丹波亀山城を与えられていて、彼が病死した際に3番目の秀勝がその遺跡を相続したということになります。2番目とか3番目とか綾波レイみたいですけどね。 余談ついでに。 清洲会議は信長の後継者争いも重要な議題だったんですけど、同じくらい織田家の直轄地(信長や信忠が治めていた土地)と、討伐した明智家の所領をどのように配分するかも主要議題でした。 結果、秀吉が山城国をもらうかわりに長浜を柴田勝家に渡したりといろんな駆け引きをしています。 この領地再分配においては、やっぱり信長の実子は優遇されていて、次男・信雄は尾張国、三男・信孝は美濃国を相続し、この2番目の秀勝も(秀吉の養子になっていたとはいえ)いちおう信長の四男だったので丹波国を相続できたわけです。 ということは福知山城も丹波国なので、いったんは2番目の秀勝のものになってたのかもしれませんね。 ただ、山崎の戦い後、秀吉の家臣である杉原家次が福知山城主に任じられたという記録もあるので、羽柴秀勝が城主になったことはないのかもしれませんし、ほんとによくわかりません。 福知山城でもらったパンフレットには羽柴秀勝の名前はなくて、光秀の次は杉原家次でした。 写真 その次に城主となったのが秀吉直参の黄母衣衆のひとりである小野木重勝なんですけど、関ケ原の戦いのあとに細川忠興に攻められて敗れています。 その関ケ原の戦いの論功行賞により1600年(慶長5年)に入城したのは有馬豊氏で、福知山城は明智光秀が築城して、この有馬豊氏が現在のような城郭や城下町を完成させたといわれています。 で、そこからはけっこう城主がころころ変わるんですけど、1669年(寛文9年)に朽木稙昌が城主になってからは、幕末の1869年(明治2年)まで約200年間ずっと朽木氏が13代にわたって福知山を治めました。 それにしても13代世襲というのはすごいですね。徳川将軍家とほとんど変わらないわけですし。 にもかかわらず観光協会のイメージキャラクターが明智光秀というのは、朽木稙昌もショックだろうなあ。 つづきます。明日は復元天守のご紹介です。
   
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