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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府8代・足利義政――応仁の乱を引き起こした文化人 1436年~1490年
政治に無関心で趣味に生きたとされる足利義政ですが、じっさいには政治にも関わろうとしていたようです。しかし彼の歴史的な業績はなんといっても銀閣寺に代表される東山文化でしょうね。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府7代・足利義勝――わずか8ヶ月の短命将軍 1434年~1443年
暗殺された父の跡を継いで、9歳で将軍となった足利義勝でしたが、わずか8ヶ月で死去しました。赤痢による病死だったものの父・義教が多方面から恨みを買ったためと噂されたそうです。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府6代・足利義教――偶然で将軍になり、「万人恐怖」と呼ばれる 1394年~1441年
仏門の身からくじ引きで将軍に選ばれ、「万人恐怖」と評されるほどの恐怖政治をおこない、そして最後は暗殺された、破茶滅茶な将軍が足利義教です。この頃から室町幕府は滅亡に向かいはじめていたのかもしれません。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府5代・足利義量――政治を行うことなく、父より先に没す 1407年~1425年
17歳で将軍に就任したものの、わずか2年で病没した足利義量は父・義持により殺害された叔父・義嗣の呪いではないかという噂も立ったようです。子どもが若いうちに将軍職を譲り、父が大御所として政務をおこなうスタイルはのちに江戸幕府が踏襲していますね。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府4代・足利義持――父を否定し、政策を転換 1386年~1428年
足利義満の嫡子である足利義持は父との折り合いが悪く、日明貿易をはじめとする政策を次々と転換させました。義持自身も父同様、隠居して権力をふるおうとしましたが、息子に先立たれてしまいます。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府3代・足利義満――南北朝の統一を果たし室町幕府の最盛期を築く 1358年~1408年
「一休さん」でおなじみの三代将軍・足利義満ですが、じっさいの義満はまさに豪腕と呼ぶにふさわしい将軍でした。守護大名たちの勢力を削ぎ、さらに南北朝の統一を果たすと、日明貿易で莫大な利益を上げました。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府二代・足利義詮――南北朝動乱を生き抜いた生涯 1330年~1367年
わずか4歳で初陣を飾ったとされる足利義詮ですが、将軍就任は29歳になってからです。彼の場合、将軍就任後のことよりも、父・尊氏とともに南朝と戦った時代のほうがよく知られているかもしれません。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府初代・足利尊氏――新たな幕府を築いた源氏の名門 1305年~1358年
鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇と決裂し、さらに弟・直義と戦うなど、波乱に満ちた生涯を送った足利尊氏ですが、主体的に時代をつくったように見えて、時代に翻弄されまくった人なのかもしれません。
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今回は室町幕府とその時期の征夷大将軍についてのプロローグとして、足利氏のルーツや室町幕府の仕組みについてまとめました。
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【歴代征夷大将軍総覧】宗良親王――転戦の苦難から守戦の日々へ 1311年~1385年
宗良親王は弟である後村上天皇によって征夷大将軍に任命されました。一時は室町幕府の勢力を追い詰めるも敗れてしまった宗良親王は、70歳以上も生きた長寿の人でした。
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【歴代征夷大将軍総覧】成良親王――天皇になるかもしれなかった将軍 1326年~1344年?
後醍醐天皇の第6皇子である成良親王は当初、鎌倉に派遣されていたものの「中先代の乱」で京に送り返されると征夷大将軍となりました。彼が将軍職についたことが足利尊氏の離反につながり、南北朝の動乱の原因となりました。
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【歴代征夷大将軍総覧】護良親王――尊氏憎しですべてを失った親王 ?~1335年
後醍醐天皇の第一皇子である護良親王は鎌倉幕府打倒に貢献し、またその後も征夷大将軍として足利尊氏と対立した人物です。しかしエゴが強すぎたのか、最後には父である後醍醐天皇にも見限られ、足利直義によって殺されました。
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【歴代征夷大将軍総覧】鎌倉幕府8代・久明親王――南北朝内乱の予兆を感じさせる将軍 1276年~1328年
8代将軍となった久明親王は兄が伏見天皇として即位した翌年に将軍に就任しました。「大覚寺統」と「持明院統」の対立の中での就任でしたが、彼もまた北条得宗家の傀儡でしかありませんでした。
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【歴代征夷大将軍総覧】鎌倉幕府7代・惟康親王――元寇の時代の傀儡将軍 1264年~1326年
源頼朝をのぞけば最長の在任期間を誇る7代将軍・惟康親王ですが、彼が何かを成し遂げたという記録はほとんどありません。 それだけ傀儡だったということなのでしょうが、彼の在任期間に起きたのが教科書にも出てくる二度にわたる「元寇」です。
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【歴代征夷大将軍総覧】鎌倉幕府6代・宗尊親王――「天皇の血を引く」将軍 1242年~1274年
天皇の子、すなわち親王が征夷大将軍に就いていたと聞いて驚いた方もいるのではないでしょうか。しかし鎌倉幕府の6代将軍である宗尊親王はまぎれもなく後嵯峨天皇の第1皇子でした。
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【歴代征夷大将軍総覧】鎌倉幕府5代・藤原頼嗣――「とばっちり」で京に戻された将軍 1239年~1256年
政局に翻弄される人物は古今東西大勢いますが、わずか6歳での将軍就任、そして14歳で将軍職を解任され、18歳でこの世を去った藤原頼嗣ほど悲哀に満ちた人物はそうはいないでしょう。
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【歴代征夷大将軍総覧】鎌倉幕府4代・藤原頼経――親王の代わりに招かれた摂家の血 1218年~1256年
幕府の実権を握った北条氏にとって、神輿に過ぎない将軍は権威さえ利用できればそれでいいと考えたようです。そのような状況で将軍に就任したのが藤原頼経で、彼は摂家であるとともに源氏の血を引くうってつけの人材でした。
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源氏将軍が断絶すると、幕府は摂家である藤原家、さらには天皇家から将軍として迎えます。独裁的な権力を握った北条家がなぜ自ら将軍になろうとしなかったのかについて、最後にふたつの説を紹介しています。
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【歴代征夷大将軍総覧】鎌倉幕府3代・源実朝――歌に打ち込み、異国を夢見た将軍 1192年~1219年
兄・頼家に代わって3代将軍となったのが源実朝です。歌人として才能を発揮した実朝でしたが、頼家の子に襲われ命を落とします。源頼朝が開いた鎌倉幕府ですが、源氏将軍は頼朝の息子2人の代で断絶することになります。