足利義昭でしょうか。
近年、光秀が信長を討ったのは義昭の指示では?との資料が発見されたるなど、徳川時代の将軍のように領土や軍事的背景がないのに貴種というだけで歴史を引っ掻き回せる極めて日本的な人物だと思います。
①水戸城
②土浦城
③逆井城
どれも行ったことはありませんが、初心者の自分が行って楽しめるという基準で選びました。
水戸城は言うに及ばす、土浦城はアクセスの良さと東櫓内部を見学できるなど初心者でも楽しめるポイントが多いと思います。
笠間城も続日本100名城に選ばれているので迷いましたが、復元とはいえ初心者でもわかりやすい二層櫓や土塀などを見ることができる逆井城を代わりに選びました。
忠臣と聞くとやはり三河武士、そして三河武士と言えば鳥居元忠です。
現代人が思い浮かべる「武士」の典型で、江戸期から現代へ通じる価値観や倫理観(良い意味でも悪い意味でも)のモデルとなった人物の1人だと思います。
城をきっかけに興味を持ったというか勉強し直そうと思ったのが中世、特に戦国時代の歴史です。
以前から歴史は好きで小説などで触れてはいたのですが、自分がいかに信長、秀吉、家康中心の歴史しか学んでこなかったかということを思い知らされてます。
(その3人ですらろくに知識がないのも痛感してはいますが…)
特に自分が生まれ育った関東の城めぐりをする上で北条と武田、上杉の攻防の知識は不可欠で一から勉強し直してます。
やはり100名城と続100名城の5城に絞られると思いますが、その中でも個人的には岩櫃城を入れて欲しいです。
岩櫃城をTVで初めて見た時に、岩櫃山の岩肌の迫力に圧倒され山城に興味を持つきっかけともなりました。
そして実際に行ってみると想像以上の山城で、郷原駅で降りて真田道と呼ばれる山道を通って城址入り口である平沢登山口まで出るルートは色んな意味で山城の醍醐味を体感できると思います。
ただし途中倒木や岩がゴロゴロしてるような山道なので登山靴とまではいかなくとも最低でも革製のブーツやスニーカーでないと泣くことになりますのでご注意ください。
残り2城は真田ファンとしては沼田城と名胡桃城も捨てがたいのですが、やはり100名城の金山城と箕輪城は外せないのかなと思います。
やはり靴です。
山城、特に整備されていない山道を通る際は雨が降った後でなくても夜露で草が濡れており通気性の良いスニーカーなどは靴の中まで湿る可能性があります。
登山靴とは言わないまでも防水機能のしっかりした革製のブーツなどがオススメです。
後は虫除け対策を怠らずに。
かなり涼しくなった時期でも防虫スプレーは必須です。
これは捻りを加える余地もなく月山富田城、松江城、津和野城で決まりでしょう。
実はまだどれも行ったことはありませんが、月山富田城は山城ファンならオススメどころか攻城がマストの城ですし、松江城は国宝、津和野城はさだまさしさんの名曲「案山子」の舞台ということでさだファンとしてはこれも行かなければならない城です。
関東からだとなかなか大変ですが近いうちに必ず行ってみたいと思っています。
①山中城
②掛川城
③駿府城
初心者でもわかりやすい城ということで言えば浜松城も入れたいところですが、戦国時代の山城を知ってもらう意味で山中城は是非入れて欲しいです。
アクセスは他の2城と比べものになりませんが、以前の自分のように城=天守と思ってる人たちに戦国の戦う城とはこういうものだということを是非知ってもらいたいと思います。
整備された曲輪を囲む畝掘や障子堀はまるで芸術品のようで山城初心者でも充分に伝わるものがあります。
二つ目の掛川城はなんといってもアクセスの良さと現存御殿と木造復元天守は見応えがあり、規模も手頃で城好きになるきっかけにはうってつけの城だと思います。
もう一つの駿府城は天守はありませんが家康の隠居城のために天下普請でここまでの規模の城を造らせた徳川家の権勢がよくわかる城として選びました。
自分の攻城の記録を残すだけでなくコレクションの要素も魅力のひとつだと思います。
100名城や続100名城のようにかなりの時間と労力が必要なバッチだけでなく都道府県の三名城バッチのように初心者でもすぐに集められるバッチを数多く揃えてくれていて、バッチを獲得した際のうれしさは次の城を巡る格好のモチベーションとなっています。
いくつになってもスタンプラリーやコレクションは心が沸き立ちます。
熊本城です。
1994年に一度訪れていますがその頃は城に関する知識もほとんどなく、さらにフェリーの時間の関係でかなり駆け足で見学したため天守すら見ずにただ石垣が高かったぐらいの記憶しかありません。
2016年の地震で大きな被害を受けましたが熊本城を愛する方達の尽力のおかげで大分復興されているようなので今度はしっかりと目に焼き付けたいと思っています。
写真は1994年当時のパンフレットと入場券です。
生涯を通してその時の自分をどう見せるかということにこだわり演技し続けた人物だと思います。
若い頃は人質として、さらには信長との過酷な同盟関係、そして秀吉への臣従に耐えているフリをして秀吉にして『徳川内府殿はさても律儀な方」と言わしめる演技を貫き通し、天下を取った晩年には家臣や諸国の大名だけでなく秀忠をはじめとした息子達にも自分を大きく見せる演技をし続けたお陰でより一層家康像が巨大になり徳川家が250年続く礎を築いたのだと思っています。
特に自分を一回裏切った本多正信を腹心として登用するあたり自分を殺さなければ決してできない凄みを感じます。
やはり続日本100名城スタンプです。
数あるバッチの中で最も獲得するのが困難ですが逆に考えれば城がなければ行こうとしないであろう土地、特に対馬や五島列島などを訪れるモチベーションになります。
同時進行で日本100名城にも挑戦していますが達成の困難さは続100名城の比ではありませんのでまさしくライフワークとして気長に巡りいずれは獲得したいと思います。
世に言う名城はどこも四季折々に訪れたいとは思いますが地理的に難しい城が多い中で最も身近にある天下の名城、江戸城には季節の折に訪れようと思っています。
城めぐりするようになって初めて江戸城に登城した時も昨年秋に三年ぶりに一般公開された皇居乾通りの紅葉を見に行った時もどちらも秋だったので今年は千鳥ヶ淵の桜、さらに機会があれば雪の桜田門も是非見たいと思っています。
龍岡城です。
ここは完成後たった4年で廃城になりその後150年近く学校施設として使われてきた全国的にも珍しい城で空からの写真を見るとこの城の特徴である五稜郭内がそのまま学校になっているのがわかります。
現在は佐久市立田口小学校になっていますが今年の3月に廃校になってしまうそうです。
ここを訪れたのは去年の夏でしたが堀沿いを歩いていると中の校庭から生徒達の遊ぶ声が聞こえてきました。
ちょうど今頃この学校最後の卒業生を送り出す準備をしている頃だと思うと龍岡城自体が無くなるわけではないのですが少し寂しい気がします。
名護屋城博物館です。
やはり名護屋城といえば文禄・慶長の役ですが安宅船、亀船の復元模型や仏狼機砲や火縄銃など見るだけで楽しめる展示品が多いです。
そして圧巻なのは大スケールで復元された名護屋城の模型です。
名護屋城跡には建物の遺構は全く残っていないので復元模型を色々な角度から見ておくとより城跡に立った時に往時の名護屋城を想像しやすくなると思います。
関東住みの者からすると中々訪れるのが難しい城跡と博物館ですがもう一度行ってみたいと思っています。
大河ドラマの影響で徳川四天王、特に本多忠勝に非常に興味が湧いています。
生涯57度の合戦に参加しながら擦り傷一つ負わなかったなど逸話は多い人物ですがどうしても家康とセットで語られることが多く断片的にしか生涯を知らないので世の中が家康ブームで沸いているうちに他の四天王と一緒に小説や研究書などを探して読んでみたいと思っています。
初めて訪れた城というのは今から40年近く前に中学校の修学旅行で訪れた二条城ですが自分の意思で初めて訪れた城は22歳の時に行った高知城です。
この頃は今思うとお恥ずかしい限りですが司馬遼太郎さんの小説の影響で坂本龍馬をはじめ幕末の志士に大ハマりしていた頃で金もないのに突然高知に行きたくなり当時付き合っていたカミさんと二人で初めて旅行に出かけることになりました。
この時は主に幕末の史跡巡りでしたがやはり高知に来たからには山内容堂公の居城だった高知城にも行かなくてはということでもちろんこの城が現存12天守の一つとか本丸御殿が残っている唯一の城という知識は全くありませんでしたが初めて間近に見た石垣や天守に圧倒された記憶があります。
攻城団を知って日本百名城スタンプラリーを始めてからはまだ高知城は訪れていませんが近いうちにまた行きたいと思っています。
写真はその時に撮った31年前の高知城天守です。
その死によって後の歴史に影響が大きかったと思われる三人の武将の死を選びました。
一つめは本能寺の変での織田信忠の死です。
安国寺恵瓊が指摘していたように信長の死はある程度必然で信忠の死こそ信長以上に後世に与える影響が大きかったと考えます。
信長を救いに行かずに逃げ落ちていれば後に秀吉があのように鮮やかに天下を取る結果にはならず(秀吉が天下を取るという発想すら浮かばなかった可能性も)その後の日本の歴史は大きく変わっていたと思っています。
二つめは豊臣秀長の死です。
秀長が秀吉より長生きしていればどんな形であれ豊臣家が滅亡することはなかったのではないかと思います。秀長が亡くなってから暴走を始めて天下に悪評を残して死んでいった秀吉の死よりある意味でその後の豊臣家の運命を変えたと思っています。
三つめは武田信玄の死です。
信玄が生きていれば信長や家康、秀吉の運命は違ったものになっていたはずで一人の武将の死としてはその後の歴史への影響力がかなり大きかったと考えます。
2024年に最も行きたい城は対馬の金田城です。
2年前の10月に日本百名城、続日本百名城のスタンプラリーを始めて現在合わせて108城まで到達し2023年は日本百名城の中でもっとも難易度の高い城といわれているヲンネモトチャシにも行くことができました。
自分が住んでいる関東からは行きにくい城がまだまだ沢山ありますが2024年は続日本百名城の中で難易度の高い城のひとつである金田城を含めてスタンプゲット合計140城を目標にしたいと思っています。
写真はヲンネモトチャシです。
現存12天守のうち9城が訪問済みで、その中ではもちろん姫路城や松本城は大好きですがあえて一番と言われると備中松山城を選ばせていただきます。
関東からはかなり行きづらい場所に加えて、かなりの標高がある山の上に建つ城跡を訪れた感激はひとしおで出迎えてくれた猫城主さんじゅーろー殿と現存天守を一緒に撮った写真は良い思い出です。
2度目に訪れるのは中々難しい城ですが次に訪れる機会があれば是非公共交通機関で挑戦したいと思っています。
このサイトをきっかけに城めぐりを知ったおかげで自分の後半生に彩りを与えてくれた恩人のような存在です。
写真の新宮城をはじめ、城めぐりを知っていなかったらまず訪れなかったであろう地を知ることができたのは自分の人生の中で最も贅沢な時間となっています。
今の自分がひょんなことから訪れた犬山城をきっかけに攻城団の団員になり城めぐりに興味を持ち始めた頃の自分に言ってあげたい言葉は「よくぞ人生最高のライフワークを見つけたな!」です。
城めぐりにハマるまでは50を過ぎてから城のために北は北海道根室から南は沖縄まで城が無ければおそらく来ることがなかったような土地にも訪れる日が来るとは夢にも思ってもいませんでした。
2021年4月に名古屋までラグビーを観に行った際に名鉄線車内の路線図を見て「犬山」という駅名に反応しカミさんへ試合の後で犬山城に行こうと提案した自分を褒めてあげたいです。
写真はその時に撮った犬山城です。
イチオシは二俣城です。
北条氏康と上杉謙信が奪い合った武蔵松山城(埼玉県比企郡吉見町)と迷いましたがやはり武田氏と徳川氏が激戦を繰り広げ、また家康の嫡男、信康が切腹した城で遺構も多く整備もしっかりしていてむしろ続日本百名城に選ばれなかったのが不思議なくらいです。
5城までということなら残りの3城は桶狭間の戦いの前哨戦となった大高城(愛知県名古屋市緑区)、太田道灌の時代から上杉謙信の時代まで何度も合戦の舞台となった臼井城(千葉県佐倉市)、天正伊賀の乱で伊賀方が立てこもった柏原城(三重県名張市)を推薦します。
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