東金城は東金酒井氏の居城として知られています。酒井定隆によって1521年(大永元年)に築かれた説と、室町時代に千葉氏が築いた鴇ケ峯城を起源とする説があります。1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、酒井氏は北条氏についたため、浅野長政によって接収されました。その後、徳川家康の関東入封後の1613年(慶長18年)、東金は家康の御鷹場となり宿泊施設として東金御殿が建てられました。1630年(寛永7年)の徳川秀忠を最後に鷹狩りはおこなわれなくなり、1671年(寛文11年)には東金御殿も取り壊されています。現在、東金御殿跡には県立東金高校があり、同校と本漸寺との間に登城口があります(16時に閉門)。
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歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
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