隈部館は菊池氏の有力家臣、隈部氏の居城として知られています。詰の城にあたる猿返城が館跡の北東部の山上(標高682m)に位置しており、これらが一帯となって城域を構成していました。1580年(天正8年)に隈部親永が隈府城に居城を移したあとも重要拠点として利用されましたが、1587年(天正15年)に発生した肥後国人一揆の鎮圧後に破却されました。2009年(平成21年)に「隈部氏館跡」の名称で国の史跡に指定されています。また近隣にある青潭寺の裏山に、親永をはじめ隈部一族の墓があります。
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隈部館に関するデータ 情報の追加や修正
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340 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
隈部氏
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1587年(天正15年)
隈部親永
隈部氏
馬出、桝形
国史跡
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登録日:2016/03/05 12:24:23
更新日:2024/10/05 03:41:41
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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