金華山ロープウェーの山頂駅近くに「千成瓢箪発祥の地」と呼ばれる場所があります。
ここは織田信長が稲葉山城を攻め落とした際に、尖兵をつとめた木下藤吉郎(秀吉)が潜入に成功した場所で、のちに秀吉の馬印として使われることになる千成瓢箪が生まれた場所だそうです。
木下藤吉郎と千成瓢箪
永禄10年(1567)8月14日、木下藤吉郎(のちに羽柴秀吉、豊臣秀吉と改称)は蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か七名を従えて、岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたてたと伝えられている。この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先に腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しながら大音声で勝鬨をあげたという。以来、千成瓢箪発祥の地とされている。岐阜市
勝鬨をあげたのは天狗岩といわれる場所で、現在は刀利天狗の祠があります。
なお、このエピソードは墨俣一夜城と同じように江戸時代以降の創作と思われ、信憑性は低いとされています。
秀吉が稲葉山城を潜入する様子は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師・月岡芳年による浮世絵連作『月百姿』の一枚として描かれています。