別名 大台城

堀之内大台城は佐竹義宣によって築かれた城です。1590年(天正18年)の「小田原征伐」に参陣したことで豊臣秀吉の後ろ盾を得た義宣は、その翌年、島崎城主・島崎安定など常陸南部を支配していた国人衆「南方三十三館」を謀殺すると、島崎城に代わるあらたな拠点としてこの城を築き、小貫頼久を城代としました。しかし1602年(慶長7年)に佐竹氏は秋田へ転封となったため、短期間で廃城となりました。現在城址は牛堀中学校の敷地となっており遺構はほとんど残っていませんが、中学校の正門脇に城址碑が建てられています。また発掘調査に基づいた主殿が逆井城跡公園内に復元されています。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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