梶峯城は多久宗直の居城として知られています。戦国時代、多久氏は有馬氏に従っていましたが、1563年(永禄6年)に小城丹坂合戦で龍造寺隆信に敗れると、そのまま多久へ乱入した龍造寺勢に攻められ落城しました。隆信は弟である龍造寺長信を城主とします。その後、隆信が小田政光を滅ぼすと、政光の遺児・鎮光は赦免されて城主となっています。しかし鎮光が大友氏に寝返ったため、鍋島直茂が城を奪い返し、再び長信が城主となりました。なお長信の嫡男・家久が多久安順(やすとし)と改名し、後多久氏の祖となりました。現在城址には堀切や竪堀などの遺構を確認することができます。また多久市郷土資料館に模型が展示されています。
梶峯城に関するデータ 情報の追加や修正
201 m( 150 m)
内郭:-- 外郭:--
多久宗直
着工 1193年(建久4年)頃
1615年(元和元年)頃
龍造寺長信
多久氏、龍造寺氏
曲輪、土塁、堀切、竪堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 201 m( 150 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 多久宗直 |
築城開始・完了年 | 着工 1193年(建久4年)頃 |
廃城年 | 1615年(元和元年)頃 |
主な改修者 | 龍造寺長信 |
主な城主 | 多久氏、龍造寺氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:54:50
梶峯城へのアクセス情報 情報の追加や修正
多久神社前の西渓公園にあり
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 多久神社前の西渓公園にあり |
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