刈谷原城の詳細は不明ですが、海野氏の一族である刈谷原五郎幸棟によって築かれた城だと伝わっています。その後、刈谷原氏にかわって小笠原長時の家臣で太田道灌の一族ともされる太田長門守資忠が城主をつとめましたが、1553年(天文22年)に武田信玄の侵攻により落城しました。信玄は今福石見守友清を城主としましたが、武田氏滅亡、さらには「本能寺の変」後の混乱に乗じて小笠原貞慶がこの地を奪回して赤沢式部少輔を城代としました。しかし赤沢氏が謀反を企てたため切腹させられると、小笠原頼貞が入り、1590年(天正18年)に貞慶が讃岐に移封となった頃に廃城になったと思われます。現在城址には土塁や堀切などの遺構がわずかに残っています。なお武田勢が攻め落とした苅谷原城は近くの荒神尾城とする説もあります。
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