野見神社から高槻城址公園に向かう途中にある三叉路に高槻城の案内板があります。
高槻城跡
大手、出丸、野見、城内の各町は、明治時代までの約350年間にわたって、高槻城があったところです。
歴代城主のうち、高山右近はキリシタン大名として有名です。右近は広大な濠をめぐらした城を築きあげ、城内には教会堂を建ててキリスト教の布教につとめたといわれています。
今の道路や町割りは、江戸時代の初めにできたものです。城は八丁松原の松並木と調和して名城として称えられました。京大坂に近い城下町は大いににぎわい、漢詩人藤井竹外ら多くの文人学者が育ちました。
城の石は明治の初めに鉄道(JR)建設に使われ、現在、城跡は公園や学校等になっています。
平成11年7月 高槻市教育委員会