高槻城
高槻城

[大阪府][摂津] 大阪府高槻市城内町


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.92(--位)
  • 見学時間:44分(--位)
  • 攻城人数:822(202位)

本行寺(移築城門)

高槻城大手門跡そばにある本行寺の山門は、高槻城にあった門が移築されたもので、本瓦茸の高麗門といった様式になっています。
どこの門なのかは不明ですが、高麗門なので枡形門の一の門(城外側にあるほうの門)だったのでしょうね。

高槻城内 高麗門
現・所在地 高槻市大手町 本行寺
 本瓦葺、高麗門。目まぐるしく城主のかわった高槻城も慶安2年(1649)永井直清が3万6千石で入城後、220数年永井氏が代々居城して、明治に至った。
 城は本丸、二の丸、三の丸、出丸からなり、本丸と二の丸の大部分は石垣を用いたが、他は土塁。
 枡形門は7つ設けられたが、すべて左に曲がって出るように設計されていた。 「近畿城門」(著者 近藤薫)より

なお、ここには「すべて左に曲がって出るように設計されていた」とありますが、じっさいには北大手門だけは右に曲がって出るように設計されていたようです。

本行寺(ほんぎょうじ)
 本行寺は、常智山と号して日蓮宗に属し、題目宝塔(だいもくほうとう)と釈迦多宝(しゃかたほう)二仏を本尊とする。
 慶長元年(一五九六)に日重商人(にちじゅうしょうにん)が創建したといい、高槻城主永井直清(ながいなおきよ)の信仰も厚く、慶安四年(一六五一)に本堂の改修を行っている。
 境内には、本堂をはじめ妙見堂、庫裏(くり)、鐘楼(しょうろう)などがあり、本堂に掲げてある「唱導殿」の額は、高槻城主第十代永井直与(ながいなおとも)の子直寛(なおひろ)の書による。また墓地の一角には、幕末の漢詩人藤井竹外(ふじいちくがい)の没後六十周年に際して、自然石に刻まれた「竹外藤井先生之墓」がある。
  昭和六十三年六月 高槻市教育委員会

本行寺の観光情報

住所大阪府高槻市大手町2-43
URLhttp://hongyouji.net/
   

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歴史の脇役である彼らの矜持とは何か、どの話も最後まで展開が読めず、面白かったです。

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