天霧城は讃岐守護・細川氏の四天王のひとりである香川景則が築いた城です。細川氏没落後も城主・香川之景は三好氏に従わず、三好実休による攻撃も撃退していますが(善通寺合戦)、のちに和議を結んでいます。なお1576年(天正4年)には之景は織田信長の偏諱を受け「信景」と名乗っています。しかし1579年(天正7年)には長宗我部元親の侵攻により降伏し、信景は元親の子を養子に迎えて家督を譲り、以後は長宗我部氏の讃岐攻略の拠点として利用されました。その後、羽柴秀吉による「四国征伐」で長宗我部氏が降伏すると、香川氏は取り潰しとなり、城も廃城となりました。現在城址に明瞭な遺構はないものの、曲輪跡や堀切などを確認できます。また四国第71番札所にもなっている弥谷寺に歴代城主の墓があります。
天霧城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
天霧城へのアクセス情報 情報の追加や修正
---
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
天霧城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
天霧城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する