稲葉地城は織田信長の叔父にあたる津田豊後守信光(織田孫三郎信光)によって築かれた城です。信光が坂井孫八郎により殺害されたあとは次男の織田信昌(玄蕃允)が城主となりました。このとき信光の本拠である守山城は信光の弟の信次に与えられています。その後、信昌の子の宗政(與三郎)が「桶狭間の戦い」で討死し、さらに1574年(天正2年)には長島一向一揆との戦いで信昌も討死しています。そして「本能寺の変」で信昌の四男である織田小藤次が二条御所で討死するとそのまま廃城になったと思われます。現在城址は住宅地となっており遺構はありませんが、神明社の鳥居脇に城址碑が建てられています。また信光の墓がある凌雲寺は永正年間に信光によって建立された寺で、信長が幼少時に手習いをしたと伝えられています。
稲葉地城を訪問した111人の報告によれば、平均見学時間は16分、平均評価は2.47点となっています。
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