一柳城は一柳直末の居城として知られています。美濃を攻略した織田信長が郡上八幡城主・遠藤慶隆の南下に備えて、直末に命じて大洞城を改修させると、一柳城と改めさせました。その後、斎藤利治が加治田城の支城として、また稲葉貞通が郡上八幡城の支城として重視し、稲葉氏時代には貞通の子の典通が在城したと伝わります。現在城址には土塁、竪堀、堀切などの遺構を確認でき、本丸南側にある櫓台には石垣が残っています。登城口は一柳神社の脇にあります。
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261 m( 127 m)
内郭:-- 外郭:--
宇佐見左衛門尉か
着工 天文年間(1532年~1555年)
1600年(慶長5年)
一柳直末
一柳氏、斎藤氏、森長可、稲葉氏、遠藤氏、金森氏
石垣、土塁、曲輪、堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 261 m( 127 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 宇佐見左衛門尉か |
築城開始・完了年 | 着工 天文年間(1532年~1555年) |
廃城年 | 1600年(慶長5年) |
主な改修者 | 一柳直末 |
主な城主 | 一柳氏、斎藤氏、森長可、稲葉氏、遠藤氏、金森氏 |
遺構 | 石垣、土塁、曲輪、堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:44:40
一柳城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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駐車場 |
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