下三瀬城は北畠氏の家臣、三瀬氏の居城です。1569年(永禄12年)の織田信長による伊勢侵攻の際には、三瀬左京が北畠具教に従って抵抗しています。交通の要衝であり、また河岸段丘に築かれた要害であったため、具教が信長と和睦したのちも具教が隠棲した三瀬館の守備の要でした。なお、織田信雄が北畠具教を暗殺したときの城主・長野左京進は三瀬左京と同一人物の説があります。現在城址には主郭部を囲う高さ約4mの土塁が完存しており、東側虎口に城址碑と案内板が建てられています。また北方にある慶雲寺は三瀬氏の菩提寺と伝えられ、三瀬氏の位牌や三瀬氏最後の武将で「大坂夏の陣」で討死した三瀬左京祐の木像が安置されており、左京祐の供養が起源とされる「下三瀬羯鼓(かんこ)踊り」が毎年8月に催されます。
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