亀田陣屋(亀田城)は江戸時代に亀田藩の藩庁として利用された陣屋です。1622年(元和8年)に山形藩主・最上氏が改易されると由利郡は本多正純の所領となりましたが、その正純も翌年改易となったため由利郡は亀田藩・本荘藩・仁賀保藩・矢島藩に分割され、亀田藩には岩城修理大夫吉隆が入りました。吉隆はかつての赤尾津氏の居城・赤尾津城の麓に陣屋を築き、以降代々岩城氏が藩主をつとめました。幕末の当主、8代・岩城隆喜の代で城主格大名となったため亀田城と呼ばれるようになりましたが、戊辰戦争で焼失しました。現在跡地には亀田小学校や「亀田城佐藤八十八美術館」があり、城門と石垣が復元されています。また近くに「天鷺城」として模擬天守が建てられています。
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本来の亀田城は天守がなかったが、観光施設として高さ20mの模擬天守「岩城歴史民俗資料館」が建てられた。
岩城吉隆
着工 1623年(元和9年)
1868年(慶応4年)
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岩城氏
曲輪、土塁、空堀
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模擬天守、模擬城門
登録日:2017/02/28 15:03:36
更新日:2024/11/21 03:52:08
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