攻城団からのお知らせ

攻城団の各種お知らせ用のブログです。毎月のレポートや新機能のご紹介など、スタッフからのサイトに関するご連絡はここに書いていきます。

「京都 秀吉の時代 〜つちの中から〜」は秀吉が京都に遺した痕跡をめぐるのに最適な1冊

「京都 秀吉の時代 〜つちの中から〜」は京都市考古資料館の開館30周年記念を記念して、2010年(平成22年)に出版された本です。
昨日、京都市考古資料館で購入しました。

本書は「秀吉の時代」ということもあって、その対象となる年代は1582年(天正10年)、つまり「本能寺の変」からはじまります。
山崎の合戦」で明智光秀を破り、天下人として歩みはじめた秀吉が京都を自らの政治拠点として整備したことはよく知られています。

具体的には以下のような施策、事業をおこなっています。

  • 平安京の跡地に天守や堀を備えた城郭である聚楽第を造営し、その周辺には大名屋敷町を建設した
  • 天皇の住まいである内裏を修復し、その周囲に公家屋敷町を配置した
  • 京中に点在・散在していた寺院を移転させ、寺町・寺之内に集めた
  • 平安京以来の碁盤の目状の正方形の町割りに新しい街路を通し、南北に細長い短冊形の町割りに変更した
  • 大規模な堀と土塁で構成された、京都を囲む御土居を築いた
  • 洛外には東山の麓に巨大な大仏殿を中核とする方広寺を造営し、伏見には新たな城郭(指月城と木幡山城、そして向島城)と城下町を造営した
  • 交通の要所である淀に新たな城郭を築いた
  • 京都を中心とする街道を再編・整備して、あわせて淀川の水上交通路を充実させた

信長が横死した本能寺を現在の京都市役所そばに移転させたこともそうですし、まさにこの通りが「寺町通」と呼ばれるように、現在の京都の町割りや寺院の配置は秀吉の政策によるものです。

ただ町割りこそ現代にまで引き継がれているものの、聚楽第も妙顕寺城も残ってませんし、御土居についても大半は破壊されていますが、これらの発掘調査の記録がカラー写真とともに紹介されています。

しばらくはこの本を見ながら、市内の石碑や遺構めぐりを楽しめそうだなと思ってます。

本記事で紹介した書籍は攻城団ライブラリーに収蔵されています。
   
この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

最新記事

新発田城にチラシが置いてあります

  • チラシ設置報告

3匹の鯱がのっている特徴的な御三階櫓があることで有名な新発田城にも攻城団のチラシを置いていただきました。安兵衛茶屋と新発田市観光情報センターで入手できます。

つづきを読む

攻城団ツアーズ・城たび〈玄蕃尾城〉を開催しました

  • 城たび

11月11日(土)、攻城団ツアーズ・城たび〈玄蕃尾城〉を開催したのでレポートを書きました。じっさいにどんな準備をして、どんな感じのツアーになったのかを今回参加できなかった方にも紹介します。

つづきを読む

お城ページのスマホでの見た目を少し修正しました

  • お知らせ

姫路城や二条城など、お城ページをスマホで見た際のデザインを少しだけ修正しました。

つづきを読む

宇和島城のチラシが新しくなりました

  • チラシ設置報告

宇和島城のコラボチラシが新しくなりました。宇和島城の天守内、日本100名城スタンプのとなりに置いていただいています。

つづきを読む

九戸城にチラシが置いてあります

  • チラシ設置報告

豊臣秀吉の全国統一に抵抗した「九戸政実の乱」の舞台として知られる九戸城にも攻城団のチラシを置いていただきました。二戸市埋蔵文化財センターと史跡九戸城跡ガイドハウスで入手できます。

つづきを読む

記事の検索

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る