攻城団からのお知らせ

近江を制した信長の城郭ネットワーク(琵琶湖4城)

近江を制する者は天下を制す」という言葉が戦国時代にあったかどうかはさておき、近江という場所は地政学的にとても重要だったようです。

それもそのはずで、琵琶湖の西側にある西近江路若狭街道、そして東側にある北国街道中山道は、近畿と東海・北陸を結ぶ主要幹線ですからね。
また、そもそも琵琶湖が水路として活用されていましたから、信長が安土に築城したのも納得がいきます。

1576年に信長が安土城を築くより前に、明智光秀坂本城(1571年)、羽柴秀吉長浜城(1575年)がすでに築かれていました。坂本城は比叡山延暦寺の焼き討ちのあとに築かれており、長浜城は1573年(天正元年)に浅井氏をほろぼしたあとに築かれています。

1578年、信長はさらに安土城の対岸に大溝城を築城し、甥っ子の織田信澄を城主にします。
こうして、坂本城、長浜城、安土城、大溝城という琵琶湖湖畔に4つの城が築かれました。地図で見るとよくわかりますが、きれいな菱形になっています。


より大きな地図で 信長の城郭ネットワーク(琵琶湖4城) を表示 ちなみに当時は安土城も湖畔にありました。いまは埋め立てられてますけどね。 こうして信長は琵琶湖を点ではなく面で支配しようとしたわけですが、最初からこうした構想があったかどうかについては疑問も残るようです。 結果的にはこれ以上ないくらい軍事・経済両面での支配に成功しているわけですけどね。 ぼくとしてはいわゆる元亀争乱を終え、膨張しつづける織田家の領地支配を効率的に行なうための戦略的な配置だったと思いたいですね。 [追記] 今回は「名城を歩く(13) 安土城」に掲載されていた松下先生の記事を参考にさせていただきました。
   
サポーター募集
攻城団は無料で利用できますが、その運営にはたくさんのお金がかかります。5年後も10年後もその先も維持するために、このサイトを気に入ってくださった方はぜひご支援ください。何卒よろしくお願いいたします。 サポーター制度のご案内
この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

最新記事

城がたり「よくわかる小牧山城」開催決定のお知らせ

  • お知らせ

toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。

つづきを読む

第6回団員総会を開催しました

  • 団員総会
  • 開催レポート

昨年に続いて第6回目となる団員総会を開催したのでレポートを書きました。今年は去年と同じ会場でしたが、内容はかなりアップデートしています。とくに「お城ビンゴ」は盛り上がったので、今後の定番ゲームにしていきたいですね。来年はさらに多くの団員と集まりたいです。

つづきを読む

久々利城にチラシが置いてあります

  • チラシ設置報告

美濃守護・土岐氏の庶流である久々利氏の居城、久々利城にも攻城団のチラシを置いていただきました。可児郷土歴史館と久々利地区センター、さらに可児市観光交流館で入手可能です。

つづきを読む

本陣山城(御嵩城)にチラシが置いてあります

  • チラシ設置報告

小栗信濃守によって築かれた本陣山城(御嵩城)にも攻城団のチラシを置いていただきました。「東美濃の山城を制覇せよ!」キャンペーンの缶バッジ受取場所でもある、御嶽宿わいわい館で入手できます。

つづきを読む

妻木城にチラシが置いてあります

  • チラシ設置報告

土岐明智氏の居城であり、戦国時代にはその一族である妻木氏の居城になった妻木城にも攻城団のチラシを置いていただきました。もとてらす東美濃で入手できます。

つづきを読む

記事の検索

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る