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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府10代・徳川家治――田沼時代の将軍は無能か名君か 1737年~1786年
幼少の頃より期待された徳川家治でしたが、自身は将軍として幕政を主導することはなく、むしろ田沼意次に一任しています。本人が優秀だったがゆえに、有能な家臣に任せることを選んだのかもしれませんね。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府9代・徳川家重――言葉が通じず、政治にも興味なし 1711年~1761年
吉宗の子である9代将軍・徳川家重は身体が弱く、また言語不明瞭だったそうです。しかし大岡忠光や田沼意次を発掘、抜擢するなど、知能は正常でむしろ聡明だったとも考えられます。 なお家重には女性説もあるようですね。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府8代・徳川吉宗――幕府を大改革した、強運の将軍 1684年~1751年
TVドラマ「暴れん坊将軍」のモデルとなった徳川吉宗の評価は名君とも、経済オンチとも言われますが、足高の制や大奥改革などのエピソードを見るかぎり、やはり有能な側面はあったのだろうと思います。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府7代・徳川家継――最年少将軍も、治世は続かず…… 1709年~1716年
家宣の子として7代将軍に就任したのが徳川家継です。3歳での就任は歴代最年少でしたが、わずか8歳で亡くなってしまい、これによって徳川宗家が断絶し、御三家から新将軍を迎えることになります。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府6代・徳川家宣――短い治世ながら、英才を活用した名君 1662年~1712年
優秀さの片鱗を見せつつも、わずか数年で病没してしまったのが徳川家宣です。生真面目で礼儀正しい家宣は前将軍・綱吉の「生類憐みの令」を民のために廃止しつつも、自分は守ると綱吉の棺に話しかけたといいます。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府5代・徳川綱吉――生類憐みの令を発した犬公方 1646年~1709年
徳川綱吉による「生類憐みの令」は犬などの動物だけでなく、人間もその対象でした。天下の悪法として綱吉の死後に廃止されましたが、捨て子や病人の保護などはその後も継続しているようにすべてが拒絶されたわけではなかったのです。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府4代・徳川家綱――安定期の病弱将軍「左様せい様」 1641年~1680年
家光の晩年の子である家綱は、いわゆる大御所を置かず、若くして将軍に就任しています。彼の時代に起きた由井正雪の乱と明暦の大火というふたつの出来事は幕府の方針や江戸の町づくりに大きな影響を与えました。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府3代・徳川家光――江戸幕府を完成させた生来の将軍 1604年~1651年
「生まれながらの将軍」である3代・家光は唯一、将軍の正室の子として将軍職をついだ例でもあります。彼が将軍の時代は幕府の財力も豊富であったため、かなり強い権力を誇示することができました。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府2代・徳川秀忠――若き日の過ちを堅実さで挽回 1579年~1632年
秀忠は「関ヶ原の戦い」での遅参を理由に評価が低くなりがちですが、江戸幕府が265年におよぶ長期政権として成立したのは秀忠の貢献が大きいのも事実です。
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【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府初代・徳川家康――戦国時代を終わらせた偉大なる将軍 1542年~1616年
決して順風満帆とは言えなかった生い立ちですが、人質として、同盟相手として、家臣として、常に近くにいる有力者に必要とされたのが徳川家康です。 信長・秀吉はもちろん、幕府を開く際には室町幕府のしきたりを取り入れるなど、過去から多くのことを学んだ人でもあります。
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征夷大将軍をめぐる旅もついに江戸幕府へとたどり着きました。明日からは徳川家の歴代将軍を紹介していきますが、まずはざっくりと江戸時代について俯瞰してみましょう。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府15代・足利義昭――信長に縛られた、最後の将軍 1537年~1597年
信長に救われ、信長と争った室町幕府最後の将軍が足利義昭です。挙兵のタイミングさえ見誤らなければ、信長をたおして将軍中心の政権樹立に成功していたかもしれませんが、それはそれで新たな群雄割拠の時代になっていた気もします。
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エムディエヌコーポレーションから発売される「将軍の日本史」を5名の方にプレゼントします!
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府14代・足利義栄――一度も京へ入れなかった将軍 1538年~1568年
13代将軍・足利義輝の暗殺後に三好氏によって擁立されたのが足利義栄です。彼は摂津で将軍に就任すると、一度も京に入ることのないまま病死した悲劇の将軍でもあります。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府13代・足利義輝――非業の死を遂げた剣豪将軍 1536年~1565年
剣豪将軍としても知られる足利義輝は父とともに逃亡していた近江の地で将軍に就任します。三好長慶と対立したためなかなか京に入れなかった義輝ですが、幕府の権威を回復するため尽力したすぐれた将軍でした。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府12代・足利義晴――各地を転々とした、名ばかり将軍 1511年~1550年
足利義澄の子として11代将軍に就任した足利義晴はその人生の大半を京の外で過ごしています。幼少期は播磨で育ち、将軍就任後も近江へ逃亡することが多く、畿内の権力争いに翻弄された将軍でした。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府10代・足利義稙――念願叶い将軍職奪還! しかし…… 1466年~1523年
鎌倉・室町・江戸の武家政権において唯一、将軍職を再任したのが足利義稙ですが、名前も義材→義尹→義稙とたびたび改名しています。 (今回は第二期についての紹介です)
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府11代・足利義澄――管領の傀儡将軍は京を追われ…… 1479年~1511年
「明応の政変」によって擁立された11代将軍が足利義澄です。しかしその経緯からもわかるように擁立者である細川政元の傀儡だったために反目し合うようになり、最後は京を追われることになります。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府10代・足利義材――幕府崩壊劇の主役となった「流れ公方」 1466年~1523年
近年、戦国時代のはじまりは「応仁の乱」ではなくその後に起きた「明応の政変」であると言われています。このクーデターによって将軍の座を追われたのが足利義材ですが、彼はただひとり二度将軍となった人物でもあります。
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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府9代・足利義尚――遠征の末に倒れた将軍 1465年~1489年
その誕生が「応仁の乱」の原因となったとも言われる足利義尚ですが、悲劇の人でもあります。権力を離さず干渉することが多い両親を避けるように、遠征先の近江から京に戻らず、そのまま25歳の若さで病没しました。