2018年から本格的に攻城開始し、日本100名城は2022年に制覇、続日本100名城は2024年11月現在98城です。日本城郭検定準1級合格。お城は縄張りに最も興味があり、ほとんど遺構が残らない城跡でお城の痕跡を確認できた時に至上の喜びを感じます。
2024年11月現在350城以上を攻城していますが、攻城記録は個人ブログ更新後につけるスタンスのため、5年以上のタイムラグが発生しております……
→http://haraponet.hatenablog.jp/
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詳細は以下でご説明しております。
団員のみなさんの個人ブログに最近投稿された攻城日記です。
岡豊城に行ってきました。 続日本100名城(No.180)に選ばれた、高知県南国市にあるお城です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 最寄りのバス停から車道を歩くこともできますが、途中からショートカットの歩道があります。四国のみち。 城跡のある岡豊山に建つ、歴史民俗資料館です。この場所も、曲輪のひとつだったのでしょうか。 詰には現在、櫓が建てられているようです。 続100名城スタンプは、ここ資料館のほか、櫓でも押せるようです。 城跡の主郭部へ向かいます。 資料館の南側にある階段を上ると、案内板があります。 道の脇に見える石積は、当時のものでしょうか。 さら…
高知城に行ってきました。 現存12天守のひとつで、日本100名城(No.84)に選ばれた、高知県高知市にあるお城です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 高知駅前に立つ、幕末土佐の有名人三人の像です。 城下に再現された、はりまや橋です。 堀の向こうに大手門と、天守が見えてきました。 城下にも見所はたくさんあるようで、機会があれば城下町も散策したいですね。 大手は枡形虎口となっていますが外門はなく、内門の現存櫓門(追手門)が右手(北)に開いています。枡形正面(西)石垣には巨石が多用され、工事の際に記されたと考えられているカタカナ「ウ」「エ」「ケ」「シ」の刻印…
高松城に行ってきました。 日本100名城(No.77)に選ばれた、香川県高松市にあるお城です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 かつての内堀内より、線路越しに本丸を見ます。南西隅にある地久櫓台の巨大さが、鉄道設備との比較でよく分かります。櫓台西面は、防護のためかネットで覆われています。 現在は、西側内堀跡に高松築港駅があり、本丸の西側スレスレから南の桜の馬場を縦断するように鉄道が敷設され、ことでんが走っています。 駅の南にある踏切より、本丸南面石垣を見ます。右奥のひときわ高い石垣が、天守台です。今いる所は桜の馬場と呼ばれ、本丸~三ノ丸の南側にあり東西に長…
丸亀城に行ってきました。 現存12天守のひとつで、日本100名城(No.78)に選ばれた、香川県丸亀市にあるお城です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 高石垣の上にちょこんと座る天守は、駅からもしっかり見えます。うーん、キュート。 まずは、外堀跡を見に行きます。 外堀のすぐ東にあったという、江戸末期の水路跡です。ここは内堀北西角の西にあたり、このすぐ西に西側外堀があったようです。 石組升を挟んで南北方向と、直交して東方向へ延びる石組水路が見えます。 水路跡から南へ歩くと、東に天守が見えます。これだけ離れていても伝わる、石垣の要塞感。 さらに5分ほど南へ歩…
名古屋城に行ってきました。 日本100名城(No.44)に選ばれた、愛知県名古屋市にあるお城です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 駅の階段に、天守がプリントされています。 こちらも駅で見つけた、内郭絵図です。本丸全周と西之丸南面、二之丸西面などが多聞櫓で囲われ、巨大な本丸大手馬出にまで多聞櫓が巡らされており、堅固さをうかがわせます。 絵図と比較すると、内郭の縄張りはほぼそのまま残っていることが分かります。 内郭へ入る前に、その東~南にかけて配置される広大な三之丸を見て回ります。 三之丸に五つあった虎口のひとつ、清水門跡と思われる場所付近です。今は門の痕…
岡崎城に行ってきました。 日本100名城(No.45)に選ばれた、愛知県岡崎市にあるお城です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 駅前に「二十七曲り」の説明板があります。東海道は、岡崎城下の総構え内において主郭部を避け北へ大きく迂回するようなルートとなっており、非常に屈曲が多くなっています。 この二十七曲りを、少したどってみます。 総構えの西出入口、松葉総門跡です。 カーブミラーの支柱や電柱などに二十七曲りが表示され、当時の東海道をたどれます。 二十七曲りを全てたどるのはまたの機会にして、お城へ向かいます。 板屋町から東海道を外れて東へ歩くと、坂谷橋があり…
赤穂城に行ってきました。 日本100名城(No.60)に選ばれた、兵庫県赤穂市にあるお城です。 前回の訪問で行きそびれた場所・撮り逃したアングルを補完すべく、訪れます。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 赤穂と言えば忠臣蔵。播州赤穂駅前には「義魂」の台座に立つ大石内蔵助と思われる像が今まさに吉良邸へ討ち入りをせんという様子で立っています。大石内蔵助こと大石良雄氏は赤穂城主・浅野家の筆頭家老でした。 こちらも播州赤穂駅前にある、山鹿素行の紹介です。軍学者である素行氏は、赤穂城二之丸縄張りの変更に関与したようです。説明板の下には歴史散策ルートの紹介があります。…
首里城に行ってきました。 日本100名城(No.100)に選ばれた、沖縄県那覇市にあるお城(グスク)です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 ゆいレール首里駅から首里城目指して歩いていると、国王頌徳碑を見つけます。1543年に建立され、戦後に復元されたものだそうです。 国王頌徳碑のそばに、首里城公園の案内図があります。首里城は戦後、琉球大学のキャンパスになっていたんですね。現在地は図の左端、上の毛エリア東端「カタノハナ」のすぐ下です。 首里城が築かれた石灰岩台地の東端部に位置し、出城があったのではと考えられている「上の毛(ウィーヌモー)」エリアには石垣が築…
中城城に行ってきました。 日本100名城(No.99)に選ばれた、沖縄県中頭郡北中城村・中城村にあるお城(グスク)です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 こちらのゲートから入り、まず料金を払います。100名城スタンプは、料金所で押しました。 花壇の中にある案内図はちょっと遠いですが……。中城城は北東から南西にかけて三の郭・二の郭・一の郭・南の郭が直線的に連なり、二の郭から南の郭の北西にかけて西の郭が細長く伸び、そして西の郭の北東には北の郭と、全部で六つの郭から成ります。 現在地は裏門の北東で、ここから城の北側を走る道路を歩き、城の南西までぐるっと回り込み…
勝連城に行ってきました。 続日本100名城(No.200)に選ばれた、沖縄県うるま市にあるお城(グスク)です。 ※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。 城跡から道路を挟んで北東にある、休憩所です。続日本100名城スタンプは、ここで押しました。 休憩所内には様々な展示があります。 勝連城の築城はなんと13世紀前後! 世界遺産に登録されたグスクでは、最古だそうです。 建物の復元はあくまでイメージとのことですが、石垣しか残らないグスクが当時どのような施設であったのかを想像するのに、こういった模型は非常にありがたいです。アーチ門には櫓(?)が築かれ、門扉もあったんですね…
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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