ダイエットと共に攻城。痩せると動きが軽くなるもんですなー。常時、5~10Kの米袋を担いでいたのと同じなので当たり前ではありますが。
山内上杉の本拠地群馬での攻城戦も山際まで来ました。小田原から電車で3時間以上掛かるレベルになって来ました。中小の領主を傘下におさめたからできる領土ですが、当主はここまで来たことは流石にないだろうと思いながら攻城しています。
ともさんは12件のレビューを投稿しています。
検索ページ前田利家公とまつ様の来歴が主に述べられています。本願寺と織田家の武将として戦っていますが、越前や加賀は一向衆の多い地域であり、北陸軍の柴田勝家公の与力であった利家公がよく納めることができたなと思っていましたが、加賀、尾山御坊攻略時、利家公は有岡、三木城で戦っていたようです。加賀支配において、一揆や反乱を行わない前提で信仰を認めたようで、謎が少し解決しました。
古河公方vs大内、扇谷上杉から始まり、後北条、松平を経て明治までの歴史を説明してくれています。本丸御殿は明治期に県庁、学校などに利用されていたため、現存しています。ただ痛みが激しく平成に大修理されています。どのように修理されたか興味深い資料になっています。
幕末土佐の人物が出身地別にまとめられています。興味深いのは、山内容堂公と武市半平太公の関係です。ドラマでは、容堂公が後年切腹させたことを悔やんだとされていますが、悔やんでいたのは容堂公の次の藩主であった豊範公であったとのことです。
縄張り図に従い主要以降を解説。黒川時代の芦名、伊達、若松時代の蒲生、松平の歴史。さらに戊辰戦争の悲劇まで広く網羅しています。
15版まで改訂されているので、私の持っている本のISBN番号は微妙に異なっています。
関東での勢力争いを後北条氏目線で解説しています。時間軸としては河越夜戦に至る経過から、甲相駿三国同盟、越相同盟までになります。鎧、画像、文などの資料がかなり収録されています。
石山本願寺成立から大阪夏の陣までの大阪の成り立ちを、蓮如、信長、秀吉、幸村などの歴史と共に説明しています。元々、大阪城は難波宮の跡地でもあり、蓮如が御坊を築こうとした時、大量の礎石が現れ、阿弥陀如来のお導きと思ったと言う話とそこから石山といわれるようになったと言う話は興味深いものです。最後の章では大阪城の怪談も載っていました。
幸隆、昌幸、信之、信繁の三代とその前の代からの土地との関わりを
地図を交えて説明しています。主に上田、沼田、九度山の説明が充実しており、真田氏の歴史も知ることができます。
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