2017年に入団しました。本城(自宅)は大阪ですが、現在、単身赴任で、千葉に住んでいます。これ幸いに?、東北、関東、中部地方を月1回の宿泊遠征と随時の日帰り遠征を公共交通機関を中心に巡っています。行けるうちに、東北、北海道の城趾をなるべく多く巡れたらなぁ、と思っています。
これから一生涯で達成したい目標
①100名城のコンプリート(58/100)
②続100名城のコンプリート(52/100)
③富士山登頂(未登頂)
④全都道府県の主要城郭5城攻城(23/47)
⑤旧国一宮の神社参拝、御朱印いただく(17/117)
⑥鉄印コンプリート(4/40)
⑦大仏参拝(選定中)
よろしくおねがいします。
JR野崎駅から徒歩で約15分の野崎観音の慈眼寺の本殿脇から飯盛城の登城道があり、15分くらい登った先に休憩所があり、城址碑と説明板がありました。市内の眺望も望めます。その先、階段を下りたところが飯盛城への登城道となった部分が空堀跡となります。 |
登城道は複数あります。私は、JR四條畷駅から徒歩で約15分くらいの四條畷神社から登り、野崎観音の慈眼寺に降りるルートで登城しました。本丸に展望台と天守台上に楠木正行公の銅像、本丸下に石垣が複数箇所遺されていました。 |
阪急宝塚線曽根駅から徒歩で約8分くらいで着きます。発掘調査で、堀跡が見つかってはいるものの、現在遺る遺構は、旧羽室家住宅の庭の築山として遺されている土塁の一部のみです。 |
阪急京都線長岡京駅から徒歩で約8分くらいのところにある神足神社の境内がかつての神足城の縄張りになります。勝龍寺城に取り込まれ、現在は、勝龍寺城の土塁、空堀として、復元整備された土塁、空堀が遺されています。 |
京阪淀駅から徒歩で約5分くらいで着きますが、私は、阪急長岡京駅でお借りしたレンタサイクルで約20分くらいで着きました。石垣、水堀が遺されていて、天守台には登れないものの、きれいに遺されていました。 |
京阪淀駅から徒歩で約10分くらいで着き淀城あとからは約8分くらいで着く妙教寺の境内が城城あととなります。明確な遺構はありませんが、境内に城址碑がありました。 |
阪急京都線長岡京駅から徒歩で約約10分くらいで着きますが、今回は、駅前にある観光案内所でレンタサイクル)(500円)をお借りして周辺の城郭も攻城。レンタサイクルだと5分ほどで着きました。神足神社近くに復元の土塁、空堀が、城郭あとに、模擬隅櫓、管理棟となる御殿、水堀、石垣などがあります。 |
JR山崎駅から登城口までは、5分くらいで着きますが、山頂にある本丸までは、宝積寺経由で、約50分くらいかかりました。本丸は、二段で構成され、下段に井戸あと、上段に、天王山山頂標柱のある天守台がありました。この天守台裏手に石垣が遺されていたようですが、私は見逃してしまったので、皆さんはご注意ください。 |
阪急京都線の富田駅から徒歩で約10分くらいの住宅街の中の普門寺が城址となります。前日までの予約が必要な為、境内には入れませんでしたが、西側のフェンス越しにも土塁が確認でき、背後には、かなり高めの土塁があることも確認できます。 |
阪急京都線茨木市駅から徒歩で約12分くらいで着く茨木小学校が茨木城の跡地となります。現地には遺構はなく、校門として、東櫓門が復元されていました。 |
JR亀山駅から徒歩で約12分くらいで、多門櫓に着きます。周辺には、大手門あと、三の丸あとなどといった標柱が多く立てられています。また、多門櫓から徒歩で約8分くらいのところに西の丸外堀あとがありました。 |
JR亀山駅から徒歩で約13分、亀山城多門櫓からは徒歩で約9分くらいのところに広場があり、説明板、城址碑がありました。また、後方に城址感のある丘のような場所がありましたが、私有地のようなので、見学のみで攻城としました。 |
JR新宮駅から徒歩で約15分くらいのところにあります。さほど広くない縄張りでしたが、天守台まで、角度のある坂を登っていくことになります。熊野川がそばに流れていることや高さのある天守台の石垣など、防御力の高さを実感しました。各所に遺る石垣は必見です。 |
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JR田丸駅から徒歩で約12分くらいで着きます。一部復元もあるようですが、石垣がよく遺されていて、見応えあります。二の丸をさらに進んだ先には、北畠氏の頃の虎口や切岸といった中世の頃の土の遺構も遺されていて、近世、中世の2つの顔をもつ城址でした。 |
JR紀勢本線の鳥羽駅から徒歩で約12分のところにあり、小高い丘を登っていくと、石垣が遺されている本丸に着きます。答志島や菅島など伊勢湾に浮かぶ島々が一望でき、水軍の拠点としての有用性を実感できました。山麓の三の丸広場前には、ショーのアナウンスが聞こえてくるくらいの距離で、鳥羽水族館がありました。 |
都営地下鉄浅草線の西馬込駅から徒歩で約7分くらいのところにある湯殿公園と湯殿神社が推定地の一つです。明確な遺構は遺されていませんが、周囲には坂が多くあり、城址があったことは想像できる立地となっています。 |
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JR姫新線の本龍野駅から徒歩で約20分くらいで着きます。石垣が現存していますが、それ以外は、復元されたものでした。御殿、模擬隅櫓、埋門が復元されていて、往時の雰囲気は味わえました。裏手に龍野古城への登城道があります。 |
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日本史の知識をアップデートするための勉強会の予習として手に取りました。
本郷先生の本は今回で3冊目となります。
内容的には鎌倉幕府とはどんな政権だったのか、後鳥羽上皇はどのような国政を目指し、また後鳥羽上皇が鎌倉幕府とどのように接してきたのか、など承久の乱に到るまでの幕府と朝廷の関係を初心者にも解りやすく解説されています。
また、承久の乱の経過、さらには何故後鳥羽上皇が敗北したのかも理解することが出来ました。日本の歴史の中で官軍が賊軍に敗れたのは知っている限りではこの承久の乱だけだと思います。そういった意味でも日本史のターニングポイントに相応しい出来事の一つではなかったかと思いますので、この承久の乱を知るのに最適な1冊かと思います。
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