今日から毎日、榎本先生の連載「外様大名40家」をブログで公開していきます。
この連載は過去に出版された『外様大名40家〜「負け組」の処世術〜』をもとに再編集したものです。
いわゆる外様大名というのは「関ヶ原の戦い」の前後に徳川家に臣従した大名たちのことを指しますが、ぼくらがよく知っている伊達家も前田家も上杉家もすべて外様大名です。
こうした有名な大大名たちは自らの支配領域である「藩」――江戸時代では「領分」と呼ばれていたそうです――を経営しながらも、参勤交代や御手伝普請といった理不尽な要求に従わなければなりませんでした。また大名は常に改易のリスクがあり、ぶじに幕末を迎えられた大名家もあれば、途中で取り潰しとなった大名家もたくさんあります。
江戸時代における大名の分類や、格付けがあったことは知っていましたが、じっさいには石高以外にもいろんな格差があったようです。
江戸城に登城した際の控えの間(通される待合室)も大名ごとにちがっていたり、知るとおもしろい情報もたくさんあるので楽しみにしていてくださいね。
最後に榎本先生からコメントをいただけたのでご紹介します!
また原著である『外様大名40家〜「負け組」の処世術〜』の第二部はいわゆる大名家列伝となっているので、こちらについてはブログに載せるのではなく、大名家データベースとして使わせていただくことにしました。
江戸時代の大名家は400家以上あるそうなので、まだその一部ではありますが攻城団の新しいコンテンツとして、今後充実させていこうと思っています。
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今回からの連載は、幻冬舎から刊行した『外様大名四十家』を整理し、一部改稿したものです。
この本のテーマは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らが活躍した戦国時代末期に訪れた「武士や大名のあり方の変化」と、その中で「負け組」ともいえる立場に追い込まれた大名たちの存在でした。
室町幕府が権威を失い、武士たちが領地を巡って相争うようになって百年ほど。動乱の時代が収束して、それまでのパラダイム(価値観)がシフト(転換)していく時代が訪れたとき、新たな時代を切り開く力を持たなかったり、運に恵まれなかったりした大名たち、武士たちがいました。
拙著で紹介したのは、そうした「大名たちにとっての新しい時代」の話だったのです。
信長の躍進以後、武士たちは土地から切り離されていった。
もともと、武士は、居住する地域と強いつながりを持っていました。彼らを支配する大名も同じで、代々受け継いできた地盤があり、そこに領地もあれば家臣も領民もいたわけですね。
しかし、信長がその支配の手を全国に広げるにあたって、武士たちは生まれ故郷を離れ、新たな領地に移っていくことになります。私たちにはまあそういうこともあるよねくらいの感覚ですが、これは当時の常識からすると激烈なパラダイムシフトだったのです。
何故でしょうか。それまでは「武士とは土地に付くもの」であったからです。土地から切り離されるのは特別な事件でした。
さらに、その信長の天下統一路線を継承した秀吉、そして家康の治世において、武士たち、大名たちを取り巻く事情はさらに変わっていきます。
特に関ヶ原の戦いで豊臣方についた大名、またその直前に徳川方についた大名は、その後の約250年に及ぶ平穏な江戸時代の中で、「外様大名」として生き残ることを余儀なくされました。そして武士たちは所領(領地)を与えられるのではなく俸禄(給与)を与えられ、その上に立つ大名たちもまた安土桃山時代〜江戸時代初期に代々受け継いできた土地から切り離されていったのです。
武士たちは名目上従来通りの軍事階級として振る舞いつつも、実質的には以前よりはるかに強く統治者・行政官僚としての性格を要求されるようになり、戦国時代の「先祖代々伝わってきた自分の領地を守るために戦い、独自に活動する」武士たちとはまったく別種の存在へとなっていったのです。
以後、本連載では戦国時代から江戸時代へ移り変わる転換期で武士がどう変わっていったのか、そして「外様大名」(及び、それに近い立場の譜代大名)が幕府のプレッシャーに耐えながらいかにして平和な江戸時代を生き抜いていったのかについて見ていくこととします。是非、お付き合いください。