別名 桜町館

桜町中将城は織田信雄(北畠信雄)によって築かれた城です。1581年(天正9年)の「第二次天正伊賀の乱」において伊賀の国人衆の反抗が激しく、長期化したために築かれました。『信長公記』によれば織田信長は信忠をともなって、ここを訪れたそうです。現在城址は雑木林となっており、遺構を確認することは大変ですが、土塁や空堀などがほぼ完存しています。ちなみに信雄の京都の屋敷が桜町にあったことから桜町中将とも呼ばれたため、この城の名がついたとされます。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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