忍城
忍城

[埼玉県][武蔵] 埼玉県行田市本丸17-23


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.38(82位)
  • 見学時間:1時間3分(67位)
  • 攻城人数:2403(60位)

丸墓山古墳

丸墓山古墳は「忍城の戦い」で石田三成が本陣をおいた場所です。
埼玉県行田市には「埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)」と呼ばれる、9基の大型古墳からなる古墳群がありますが、そのひとつです。

直径105メートル、高さ18.9メートルの円墳で、「埼玉古墳群」の残り8基は前方後円墳なので、唯一の円墳です。

頂上まであがることができます。

忍城がよく見える場所なので、三成がここに布陣したのもよくわかりますね。

肉眼でも復元櫓がはっきり見えました。

春には桜でとてもきれいな場所です。

案内板の内容を紹介します。

丸墓山(まるはかやま)古墳
 直系105mあり円墳では日本最大です。墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。出土した埴輪から、6世紀前半ころに築かれたと推定されています。埋葬(まいそう)施設の内容は、現在のところ確認されていません。
 南側から古墳にいたる道は、1590年に石田三成(いしだみつなり)が忍城(おしじょう)を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です。水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。平成19年(2007年) 埼玉教育委員会
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

忍城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

もののふ戦記―小者・半助の戦い (時代小説文庫)

武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。

こめつぶさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る