勝瑞城
勝瑞城

[徳島県][阿波] 徳島県板野郡藍住町勝瑞字東勝地29-2


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.83(--位)
  • 見学時間:39分(--位)
  • 攻城人数:974(173位)

土塁

勝瑞城跡には現在一部だけ土塁を確認することができます。
発掘調査によれば、当時は周囲を土塁で囲われていたようです。

土塁
 現在は、この部分だけ確認することができるが、当時は周囲に巡っていたことが、発掘調査によって確認された。濠を掘った際の土を盛り上げてつき固めて構築している。平成九年に土塁から濠にかけて発掘調査を実施し、当時土塁が基底部幅約一二メートル、高さ約二.五メートル、濠は上部幅約一四メートルの大規模なものであったことが確認された。また、濠からは多くの瓦が出土した。
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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