紫波洲崎城は「伊東氏四十八城」のひとつに数えられる城で、川崎五郎左衛門良正が城主をつとめていました。伊東氏と島津氏の争奪が繰り広げられ、1577年(天正5年)に伊東義祐が豊後に逃亡したあとは島津氏が領有することとなり、宮崎地頭で上井覚兼の父・上井薫兼が城主となりました。しかし1587年(天正15年)の豊臣秀吉による九州征伐後は、日向に返り咲いた飫肥城主・伊東祐兵の所領となります。そのまま江戸時代を迎えますが、元和の一国一城令により廃城となりました。現在城址には本丸跡に仏舎利塔が建てられています。遺構としては、わずかに土塁を確認することができます。
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