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龍造寺隆信の宿敵! 肥前の猛将「神代勝利」の居城跡を攻めてみた!

やっぱ険しい山城は冬に攻めるべきでした。

「三瀬城跡」の見事な石積みや土塁は圧巻の大迫力

いや~なめてました......。

人里近くにあって城郭間近まで自動車で行ける城跡なので、この季節でも行けるだろうと思って佐賀市三瀬にある山城跡「三瀬城跡」を攻めてみたのですが、軽く逝きそうになりました。

スズメバチに蜘蛛の巣、蛇やらなんやら、主郭では子連れの大きなイノシシに遭遇! 思った以上の大冒険になりました。

そんなこんなで始めて訪れてみた三瀬城跡ですが、思った以上に遺構がきれいに残っていて大感激! 山城好きなら必ず行っておくべき城跡です。

城跡への入口は、佐賀方面から三瀬経由で福岡へ向かうルート上。三瀬トンネル直前から右方向に分岐する旧道に入ってすぐ、入口を示す看板が立っています。

入口看板

数百メートル道なりに進んでいくと、三瀬城跡がある城山登山用の駐車場があります。

三瀬城駐車場

駐車場には三瀬城の説明が掲示されています。

案内板

三瀬城は標高671mの山頂にあり、佐賀平野を望み山麓は唐津、筑前方面へと続く要衝でした。猛将と名高い肥前の武将「神代勝利(くましろかつとし)」の居城。

神代勝利は少弐氏に従い龍造寺家と対立、一次は龍造寺の本拠地「村中城」に攻め寄せ筑後柳川へ追いやることに成功しました。

その後、柳川で挙兵した龍造寺隆信の逆襲を受け、佐賀の八戸氏とともに八戸城で防戦するも敗北。

佐賀の北方にある背振山系を拠点とする山内に落ちのびて三瀬城主の三瀬氏に師範として迎えられ、そのまま城を譲り受けたと伝えられています。三瀬城という拠点を得た神代勝利は、山内地区を統一して山内二十六ヶ山の総領と呼ばれ、龍造寺隆信の肥前統一に立ちはだかることになります。

有名な山城だけあって、登山道は比較的わかりやすくなっています。

登山道入口

登山道の横には澄んだ水が流れる小川、三瀬城の水源でしょうか、山頂近くに湧水があるようです。

三瀬城小川

のぼりはじめてすぐの場所に大きく開けた曲輪らしき場所があります、切岸らしき地形や小さな石積みがある事から屋敷跡だったのではないかと思います。

石積み1

開けた場所。このような開けたスペースが登山道の両側に広がります。もう一方には北側に土塁らしき跡もあります。

館跡?

右へ左へ蛇行しながら続く登山道、ある程度のぼると堀底道になっています。

堀底道

途中の土橋状の通路を抜け、堀底道を抜けるとさらに急斜面を登っていきます。

土橋

主郭まで250mの標識を直角に曲がり、鍵状に続く急斜面を登りきると「二の郭」の虎口がありました。虎口の横には石積みが多数残っていて、二の郭の南東端が大きく張り出して横矢を掛けられる構造になっています。

三瀬城跡二の郭虎口

三瀬城跡の城内へ

三瀬城跡石積み2

虎口を抜けて城内に入ると、二の郭の平坦な場所に出ます。周りをぐるりと土塁に囲まれた、広々とした空間になっています。

三瀬城跡二の郭

曲輪の西側土塁には、石積みがあります。投石用でしょうか、かなり長い範囲に石が積まれています。

二の郭西側石積み

二の郭南端は物見台だったのでしょうか、岩があり視界が開けています。写真は三瀬城跡の二の郭、南端からの眺め。

三瀬城跡眺望

ここから北の方角へ「二の郭」を抜けて行くと、再びのぼり坂になり主郭へと続きます。下の写真は主郭の虎口から、二の郭方向を撮影したものです。

主郭から二の郭

主郭の入口、ここを抜けるといよいよ城の本丸です。主郭の虎口も「二の郭」と同じように、主郭の東側が大きく張り出して横矢をかけられるような構造になっています。

写真のように入口に迫ると、ちょうど右側の高台から矢を射かけられるんですね。生きて帰れる気がしません......。

三瀬城跡主郭虎口

虎口を抜けると広い空間が広がり、周りをグルリと土塁が囲んでいます。主郭の土塁は南西部がいちばん高く3m以上ありそうです。西側は低くても2mくらいの土塁が続き、石積みがあります。

これだけ土塁が高いと迫力がありますね。

三瀬城跡主郭

主郭西側の高土塁、この土塁にも石積みが続いています。

主郭土塁石積み

主郭東側には「搦め手口」があり、下ると小さな郭があります。

三瀬城跡搦め手口

主郭北端からの眺め、この先にも堀などの遺構があるようですが、藪が深くて入れませんでした。

主郭北端

龍造寺隆信がじっさいに攻め寄せることはありませんでしたが、一筋縄では落とせそうにない堅城だったようです。

神代勝利は主家である少弐家が龍造寺隆信に滅ぼされたあとも三瀬城に寄って徹底抗戦、業を煮やした龍造寺隆信は1561年(永禄4年)に河上の地にて雌雄を決しようとの挑戦状を送りつけます。

神代勝利はこれを受け入れ、9月13日に約7,000騎を率いて出兵、この決戦で敗北し波佐見へ落ちのびる事になります。しかし、山内の勢力を頼りに再び復帰、1562年(永禄5年)に龍造寺隆信と和睦します。

その後の神代家は勝利の死後、再び龍造寺家からの侵攻を受け、勝利の跡を継いだ長良が1571年(元亀2年)に龍造寺隆信の臣下となり龍造寺vs神代の戦いの幕が降ります。

神代氏は鍋島直茂の弟と云われる小河信俊の息子を養子とし、子孫は川久保鍋島氏として幕末まで続きました。

以上、佐賀市三瀬村にある「三瀬城跡」の紹介でした。写真では伝えきれないほど多くの遺構が残っていて、素晴らしい城跡なので城好きなら絶対に見に行くべきだと思います。

特に主郭に残る土塁の迫力は凄いですよ、圧迫感を感じるほどの高土塁。駐車場から30分ほどなので、素人でも楽しみながら登れる場所だと思います。

機会があれば、ぜひ登ってみてください。

   
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