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生まれは、静岡市清水区(旧清水市)です。
旧東海道に面しており、曾祖母はお茶屋でバイトしていた娘時代に、次郎長にからかわれていたそうです。
3分ほど歩けば「吉川神社」、更に10分ほどで「吉川氏館跡」があります。
小中学校は、駿府城の三の丸内にあり、お堀にかかる「城代橋」を渡って通学していました。
よく二の丸の石垣をよじ登って遊んでいましたが、今では堀下まで降りられなくなっています。
近くの東御門は、荒れ果てた石垣とその上に歩兵第34連隊の橘大隊長の銅像が立っていただけでしたが、今ではその銅像も撤去され、御門と巽櫓が再建されました。
今、駿府城の大規模な発掘が行われており、さらにまた大きく変貌していきそうです。

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千葉県富津市の「上総湊駅」から徒歩1時間ほどに、「天羽城」があります。
この地は、大多喜城主として有名な正木氏が館を構えており、この城もその支配下にありましたが、元は地場豪族の天羽直胤が築城した城です。
この天羽氏は「あまは」と読み、今でも学校名など多くにこの「天羽(あまは)」が残されています。

ところが、この城名は「あまはじょう」ではなく、「あもじろ」「あもうじろ」「あもしろ」などと読むのです。
まず、「あまは」が「あも・あもう」に変化したのは、まあ分からないこともないのですが、城名以外がその変化していないのが不思議です。
更に、地名の「~城」を「~しろ・じろ」と読む例は数えきれないほどありますが、城郭の固有名詞で「~しろ・じろ」という読み方をするのは非常に珍しいケースですよね。
私は、この城以外にこういった例を知りませんが、他にもあるものなのでしょうか。

高校生の孫は結構近くに住んではいるのですが、勉強はともかくとして?、多趣味で忙しくてお正月くらいにしか会えません。
でも、私とは何故か気が合い、たまに会ったり電話したりすると、話が弾みます。
とはいえ、まあ気を使ってくれているのかなとも思います。
昨年電話で話した時にふと思い出して、「小沢城」について話しました。
彼の家から近くにあること、よみうりランドやジャイアンツの練習場にも繋がっていること、北条氏康の初陣はここから出陣したこと等々。
で、そのことをすっかり忘れていた先月、電話で話す機会があった時、何と!そのお城に行ってきたと話してくれました。
・友達と二人で行ったこと
・神社から、ブロック塀みたいなすごい上り口を登っていったこと
・一番高いところにあった「浅間山」からの景色がよかったこと
・ほぼ全部巡って、裏手に下って行ったこと
と、かなり詳しく聞かせてくれました。
自分自身のお城めぐりのことではありませんが、私にとっては「とてもいい話」だったんですよ。

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 天守編

江戸城天守を再建する会の特別顧問をされている三浦正幸先生が書かれた著書で三浦先生のお話は講演会等でよくお聞きしているので、お城の構造について勉強したく手に取りました。前半は天守の外壁、窓、狭間、石落、そして基本的構造について詳細に解説されており、外壁の仕上げ、屋根、破風の形に格式の上下があることを知り、今後天守の見方が変わるように思えました。後半は現存12天守、失われた天守の詳細説明がされています。熊本城の宇土櫓が第一期普請で建てられた初代天守であることを初めて知りました。この一冊で天守の構造に付いてほぼ網羅していると思いますので、天守の構造について詳しく知りたい人にはお勧めです。なお、続編として「櫓・城門編」もあるようですのでそちらも読んでみようかと思います。

まーちゃんさん)

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