昨日、一昨日と大阪歴史博物館で開催された連続講座「大阪城の地中を探る」を受講してきました。
連続講座「大阪城の地中を探る」
現在の大阪城の地下には、いく層にも積み重なった歴史が眠っている。
本後援会では、そうした歴史のうち、
今年注目を集めている豊臣期大坂城石垣を中心に、徳川期大坂城や、
豊臣期以前の地下構造などを明らかにする。
最新の科学的研究手法から解明される歴史像を堪能していただきたい。
とりわけ30年ぶりに我々の目の前に出現する豊臣期大坂城石垣については、
多様な角度からその実像を分析してゆきたい。 大坂の陣400年天下一祭参加事業・太閤なにわの夢募金応援事業
参加は無料で、大阪市外からの参加も可能だったこともあり、会場はほぼ満席、200人くらいの方が参加されてました。
ぼくも両日とも京都から1時間ちょっとかけて参加してきたのですが、とてもおもしろかったです。
以下、かんたんですけどレポートします。
初日の最初は大澤氏による講演で、絵図に描かれたり、文献に書かれた内容から豊臣大坂城を紹介していただきました。
豊臣時代の大坂城の縄張りが描かれた絵図はいくつかあるんですけど、それぞれ微妙にちがうんですね。
本丸や二の丸の区分も異なっていて、一般には大坂城の場合、内堀の内側部分を本丸と呼んでいますが、そこに二の丸もあったという絵図(慶長十九年大坂冬の陣配陣図)もあったりして、だけど天守の位置は正しく描かれているものだからあながち無視するわけにもいかず、と確認作業はほんとうに大変なんでしょうけど、興味深い話でした。
そもそも「本丸」や「二の丸」という言葉(呼称)は築城時には使われてなかったというのも初耳でしたし(慶長以降にならないと出てこない)、これまで博物館などで絵図を見てもよくわかんなくて5秒くらいしか立ち止まってませんでしたが、今後はもう少しじっくり見ようと思いました。
あと豊臣大坂城は「本丸」(正確には本丸にあたる部分)、「二の丸」(同様に二の丸にあたる部分)、「惣構え」(惣構えは最初から呼ばれていたそうです)の順につくられ、最後に「三の丸」がつくられたそうですが、その三の丸の位置が謎だそうです。
惣構えと三の丸の間に隙間があったのかとか、城の南西側だけなのかとか、区画がいまいちはっきりしないそうで、このあたりもまた新しい史料が発見されたらより正確なことがわかっていくんでしょうね。
つづいて大阪城天守閣の松尾館長による講演は豊臣大坂城の石垣が現在目視できる徳川期の大坂城の石垣と比べてどうちがうかという内容でした。
松尾館長自身、これまでに何度も調査に立ち会われてきたそうですが、1984年(昭和59年)に発見された当時は「石山本願寺跡かも」と思って、即座に豊臣大坂城の石垣と断定できなかったそうです。
そのくらい石垣の技術革新がすごい(徳川期から比べると技術的に劣っている)ということでした。
ほかにも聚楽第や肥前名護屋城、木幡山伏見城などの同時期に築かれた石垣の写真を見せていただきました。
これらの石垣とあわせて研究した結果、秀吉時代の石垣の特徴は次のようなものだそうです。
胴木というのは上からの荷重を分散させるために、石垣のいちばん下にしく丸太などの木材のことです。
石垣の積み方というのは、石そのものの加工技術だけでなく、こうした基礎処理の技術も向上したんですね。
初日の最後は、三田村氏のボーリング調査についての講演でした。
ボーリング調査というのは名前は知っていましたが、じっさいのところはよくわかってなかったんですけど、地中を掘っていくことで出てくる土や石などを分析することで、いろんなことがわかるそうですね。
貝殻を含んだ粘土であれば海際によく見られる自然の地層だと特定できたり、その上に盛土や石垣のように人工的なものを載せた場合もわかるんだそうです。
こうしたデータを元にすれば時代ごとの地表面の移り変わりも図式化できるわけですね。
こうした科学的なデータと最初に大澤氏が紹介してくださった絵図や文献などの情報をつきあわせることで、より実態に迫れそうな気がしますね。
歴史研究にかぎった話ではないんでしょうけど、理系と文系それぞれの立場から複合的に見ることで真実に迫れるというのは学問の素敵なところだなあと思いました。
2日目の最初は市川氏による講演でした。緊張されてるようでしたが、内容はめちゃくちゃおもしろかったです。
今回、一般公開された石垣も(ぼくらが入れない地下から)ビデオに撮影して見せてくださいました。
たしかに礎石や石臼があるといわれても、上からだとよくわかんなかったんですよね。
大阪城は特別史跡に指定されているため、かんたんに掘り返せないんだそうですね。
でもいくつかの調査から、そして文献から、豊臣大坂城の詰の丸石垣の高さを割り出したり、いろんなことが数珠つなぎのようになって解決していくようで、今後も新発見が期待できそうなお話でした。
せっかくなので、資料にあった豊臣期と徳川期の石垣のちがいについての表を紹介しておきますね。
徳川期石垣 | 豊臣期石垣 | |
---|---|---|
ほぼ単一(花崗岩) | 石材の種類 | 多様(花崗岩のほか、凝灰岩など) |
画一的 | 石材の形状 | 多様(転用材多し) |
曲線的(反りがある) | 石垣の勾配 | 直線的(反りなし?) |
算木積み(完成形) | 石垣の隅 | 算木積み(発達途中) |
打込み接ぎ | 石垣の積み方 | 野面積み |
一般に認められる | 矢穴 | ごく少ない |
200種ほどあり | 刻印 | なし? |
つづいて岸本氏による講演はレーザーによる最新の測量技術の紹介でした。
冒頭「もっと大阪市は本腰入れて大阪城の調査に力を入れるべき」というお話はほんとにそのとおりだと思います。
べつに建物を増やさなくてもいいので、今回の講座で話していただいているようなちょっとディープな情報を天守内や大阪歴史博物館などで紹介するだけでもちがうと思うんですよね。
金沢城は金沢県が積極的に調査、整備を進めてるそうなので、また見学にいってみようかな。
左側が写真を元に手書きで書いたもので、右側が3次元計測陰影図です。
写真のように見えますが、データとしては3次元なのでどの角度からでも自由に見ることができるそうです。
ちなみに左側のは村川行弘氏らによる刻印研究の調査で、大坂城の石垣の石材50万個をチェックしたそうです。
(その結果は刻印があるものが約6万個で、主要な刻印が200種類、総数だと1247種類だそうです)
ほかにもこんなデータを見せていただきました。
これは桜門東側の本丸石垣の3次元計測陰影図と、天下普請の班割りの表から、担当大名を記したものです。
こうやって見ていくと、石垣の継ぎ目が見えてくるのがよくわかりました。
姫路城の三国堀や熊本城の二様の石垣のように、築いた時期が異なるため継ぎ目が明らかな石垣はありますが、たしかに天下普請のように分担制で各地の大名が築くとなると、技術差もあるでしょうから当然見た目にわかるほどのちがいが出ますよね。
そんなふうに石垣を見てなかったので、これからは天下普請の城を見学するときは石垣の横目地だけじゃなく、縦の継ぎ目も見ようと思いました。
最後は大阪くらしの今昔館の谷館長による講演でした。
谷館長は建築が専門で、本丸御殿についてのお話でした。
本丸御殿というのは名古屋城でもつい最近復元されましたし(工事は継続中)、江戸時代の著名な城にはこうした御殿はある意味セットになっていますが、少なくとも織田信長の時代にはなかったそうです。
安土城の場合は山城だったこともあり、スペースがなかったという事情もあるのでしょうが、御殿に相当する大名の私的空間は天守内(安土城なので天主内)にあったそうです。
その後、秀吉が大坂城を築いたときには表御殿と奥御殿が築かれ、天守と同じ詰の丸には奥御殿があったそうです(ちなみに表御殿は執務スペースとして利用されました)。
江戸時代には御殿は当然のようにつくられるのですが、その場合も普請の順番としてはまず天守や櫓をつくってから、御殿を建築したそうです。
先に防御施設をつくらなければというのもありますし、一度にやると大工が足りなくなりますからね。こういうのもちゃんと資料に残っているそうで、おもしろいですよね。
徳川期の大坂城にも本丸御殿はありました。
ちょうどいまは天守閣前の広場になっているあたりです。かなり詳細な絵図が残っているので、3Dでモデリングしたデータを作成されたそうです。
ちょうど正月に江戸城の3Dモデリングを見ましたが、こういうのを見ると感動しますよね。
襖の絵もわかっているものは描き入れてあるそうです。
「家康が松が好きだった」というのは二条城のガイドもたしか話してましたけど、ここにも松の襖絵が描かれていたようです。
これをじっさいに復元した模型が大阪くらしの今昔館にあるそうなので、今度いってみようと思います。
豊臣石垣公開プロジェクト、そして太閤なにわの夢募金の紹介もありました。
募金のほうは、5億円の目標に対してまだ8000万円しか集まってないようです。
松下幸之助さんが生きてたらポンと出されたんでしょうけどね。
今回のような特別公開ではなく豊臣時代の石垣を常設展示できる施設ができるのは未来につながることなので、なんとか実現してほしいものです。
あと、今回の講演内容は書籍化も検討されてるそうなので、参加できなかった方も楽しみにしててください。
参加者にはこんなに分厚くて立派な資料が配布されたんですが、これを読むだけでもおもしろいです。
またこうした講座やセミナーに参加して知識を増やしていければと思っています。
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