佐賀城跡といえば、御殿を復元した「佐賀城本丸歴史館」や江戸期の建物が現存する「鯱の門」が有名ですが、5層からなる立派な天守があった事はあまり知られていません。天守は焼け落ちてしまい再建されませんでしたが、立派な天守台はいまも本丸の北西隅に残っています。この天守台が、虎口となっている入口や犬走、内堀跡など往時の面影を色濃く残していて"城らしさ"を感じる事が出来る佐賀城一番の見どころなのです。
佐賀城跡の象徴ともいえる「鯱の門」は1838年(天保9年)に完成した、二重二階の櫓門で本丸への入口を守る最後の門でした。
1874年(明治7年)に起こった「佐賀の乱」で佐賀城は落城、城門には無数の弾痕が残ります。
その鯱の門から後ろを振り向くと石垣が張り出し、一段高くなっている場所があります。そこが、佐賀城天守台です。
天守台へと続く犬走、石垣の右側に木の植え込みがありますが、そのあたりまで内堀でした。天守へは本丸から入れない構造となっているため、二の丸を抜けて土橋を超え、この狭い犬走を抜けなければ天守にたどり着けません。
狭い通路を抜け天守への入口たどり着いても、入口は喰い違いの虎口となっています。直進すれば内堀、入口へと左折すると虎口、攻撃側はここを抜けるのに苦労する事でしょう。
虎口を抜け、狭い階段を上りきった先に天守台への階段があります。ここにもかつては門があったのでしょう。
最後の階段を上ると佐賀城で一番高い場所、天守台です。5層の天守が建っていた場所なので、結構な広さがあります。佐賀は昔から高低差の無い平野だったため、かなり遠方まで見渡せたのではないでしょうか。
鯱の門から本丸に入ったところに佐賀城の絵図があったので、本丸部分をアップで撮影してみました。中央少し左に書かれている大きな建物が本丸御殿、御殿を囲む石垣の上に5層の天守が書かれています。これを見て佐賀城本丸跡を見ると、ほぼそのままの形で残っている事が良く分かります。
佐賀城跡といえば佐賀市の観光名所として多くの人が訪れていますが、そのほとんどの方は復元された本丸御殿「佐賀城本丸歴史館」を見に行きます。しかし、佐賀城の姿を一番色濃くとどめているのは、この天守台跡周辺ではないでしょうか。内堀跡も見事に残っているので、上の絵図を見た後に少し離れて本丸跡を見ると、在りし日の佐賀城をイメージする事ができます。
ということで、佐賀城で一番の見どころ「天守台」を紹介しました。佐賀城は龍造寺本家の居城であった佐賀村中城を整備拡張し、龍造寺隆信が誕生した水ヶ江城の一部も含めて鍋島家によって建てられました。城跡の多くは失われてしまいましたが、外堀の約半分と本丸跡は見事に残されています。佐賀城の本丸跡へ行く事があれば、ぜひ天守台へも足を運んでみてください。
toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
つづきを読む昨年に続いて第6回目となる団員総会を開催したのでレポートを書きました。今年は去年と同じ会場でしたが、内容はかなりアップデートしています。とくに「お城ビンゴ」は盛り上がったので、今後の定番ゲームにしていきたいですね。来年はさらに多くの団員と集まりたいです。
つづきを読む美濃守護・土岐氏の庶流である久々利氏の居城、久々利城にも攻城団のチラシを置いていただきました。可児郷土歴史館と久々利地区センター、さらに可児市観光交流館で入手可能です。
つづきを読む小栗信濃守によって築かれた本陣山城(御嵩城)にも攻城団のチラシを置いていただきました。「東美濃の山城を制覇せよ!」キャンペーンの缶バッジ受取場所でもある、御嶽宿わいわい館で入手できます。
つづきを読む土岐明智氏の居城であり、戦国時代にはその一族である妻木氏の居城になった妻木城にも攻城団のチラシを置いていただきました。もとてらす東美濃で入手できます。
つづきを読むあなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する