「佐賀県の歴史上の人物で、いちばん有名なのは誰?」と聞かれると、やはり最初に名前が挙がるのは「龍造寺隆信」でしょう。今回紹介するのは、現在の佐賀市中心部の一部を治めていた地方領主が、佐賀、長崎、福岡、熊本にまたがる広大な領地を有する大大名となる切っ掛けになった一大夜戦の戦場跡。総勢6万ともいわれる大友軍に対し、佐賀村中城に籠った龍造寺軍はわずかに5000。この状況から、名将・鍋島直茂率いる500から700(諸説あり)の兵力で敵本陣に夜襲をかけ、大将・大友親貞の首を取る大戦果。九州最大の奇襲戦といわれる「今山合戦」の古戦場跡です。
今山合戦後も半年にわたって激戦が繰り広げられますが、大友家に味方した肥前国人衆は撤退し龍造寺軍はそれらを各個に撃破。肥前を平定しつつ勢力を拡大していく龍造寺軍に対し、大友軍は今山での敗戦を覆すことができずに敗走。逆に、龍造寺軍による侵攻を許すこととなります。
今山の古戦場跡は佐賀市北部、大和町にあります。下の写真は今山古戦場に建つ慰霊碑と、今山へ続く農道の赤坂山展望台。この場所でも多くの兵が討たれたそうで、本陣はさらに山を登り頂上の大友公園付近にあったそうです。
自動車で来る場合はこの先の道が狭く急斜面なため、展望台に停めて歩いて登るのが良いでしょう。山の中には曲輪跡や土橋、虎口、竪堀などかなり堅固な陣地を構築していた遺構が残るそうですが、まったく手入れがされておらず、今回は山中に入っていません。
展望台の近くから本陣跡を望む、広大な山の斜面を広く使った陣が敷かれていたのでしょう。
展望台から本陣へは、大友公園と書かれた標識から狭い農道に入り、さらに狭い道を登っていきます。陣跡はミカン畑となっているため、当時の山の起伏や斜面がよくわかるので、本陣の兵が駐屯していた光景をイメージしやすいのではないでしょうか。
数か所の曲がり角がある山道、最後に突き当たってT字路になっています。左へ直角に曲がると、そこが大友公園。
本陣跡である大友公園は、フェンスがされており中に入れませんでした。
大友公園の中には大友親貞の墓と、大友大明神の碑が建っています。
大友公園の入口から、佐賀城方面を撮影してみました。霞んで遠くが見えませんが、佐賀平野を見下ろす絶好のロケーションです。
この陣跡には本陣の兵3,000が配置され、総勢6万ともいわれる軍勢は数多くの隊に別れ佐賀村中城下を包囲していました。
この合戦は九州の合戦であったということもあり、全国的に大きく取り上げられることの少ない合戦です。しかし、織田信長躍進のきっかけとなった「桶狭間の合戦」は今川軍25,000、織田軍2,000(各兵数には諸説あり)、毛利元就の「厳島合戦」が陶軍2~3万、毛利軍5,000といわれていますので、それらに匹敵するくらいの大奇襲戦でした。
6万の大友勢に対して5,000の兵しか動員できない龍造寺勢は、籠城せざるをえませんでした。もはやこれまでと降伏論まで出る中で、鍋島直茂による乾坤一擲の大奇襲戦。龍造寺隆信は、武士を捨て出家させられた少弐家の被官の分家の長男でした。その不遇の男が、武士として返り咲き本家をも飲み込んで主家を滅ぼし、当時九州最大の勢力を誇った大友家を破り九州三強の一角として覇を唱えたのです。
じっさいに古戦場を訪れてみると、ほとんど手入れもされておらず頂上にある大友公園には入ることもできませんでした。本当ならば遺構を探して中に入っていきたかったのですが、今回は実現できなかったのが残念です。佐賀市へ赴いて感じるのは、幕末から明治初期の佐賀をPRするのに熱心で、佐賀における歴史上の人物の中でもっとも知名度があり、全国に多くのファンを持つ龍造寺隆信の扱いが低すぎることです。もっと地元で評価されても良い人物だと思うので、少しでも注目が集まるようにこれからも龍造寺隆信の足跡をたどる記事を書いていきたいと思います。
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