佐賀は戦国史跡の宝庫! 城跡だけでも凄い数です。
佐賀県小城市にある「千葉城」は、京都の平安京をつくった桓武天皇の血をひく桓武平氏の一族です。千葉氏の本拠地は下総国(千葉県北部から茨城県の一部)ですが、源頼朝が平家打倒のために挙兵した時から一貫して頼朝に協力し、鎌倉幕府成立後日本各地に多くの所領を得ました。佐賀県小城市もそのひとつで、元寇の際に九州警護のために下向し、そのまま小城に留まったのがはじまりです。
今回紹介する「肥前千葉城」は小城へ下向した肥前千葉氏によって築城された城で、1455年(康正元年)に家督を継いだ元胤の時代が最盛期で杵島郡、小城郡、佐賀郡を支配しました。
千葉城は小城駅の北方に流れる祇園川に沿って三つの峰を持つ牛頭山に築かれた山城で、西から小の山、中の山、大の山と連なり大の山に本城がありました。
肥前千葉氏は室町後期から戦国時代にかけての内紛により、晴気城を居城とする西千葉氏と肥前千葉城を居城とする東千葉氏に分裂します。
一時は肥前国主と呼ばれるほどの大勢力を築いた肥前千葉氏は、東千葉氏が西千葉氏の攻撃によって滅亡。西千葉氏は台頭してきた龍造寺隆信の配下となり龍造寺姓を、江戸時代に入って鍋島姓を賜り佐賀藩の家老となりました。
小の山には1316年(正和5年)千葉氏によって祇園社が建立されました。1876年(明治9年)に須賀神社と社号を変え、いまに残っています。
千葉城であったころは出城としても機能していたと思われます。
須賀神社社殿裏側に残る遺構群の石積みアップ。
虎口?
須賀神社西側にある堀切らしき遺構。
須賀神社本殿。
小の山平場に建つ稲荷社。
小の山山頂から祇園川を望む。
小の山から中の山へと続くスロープ。
中の山は「千葉公園」という公園になっています。須賀神社の階段ではく、山門の横に登山道があるので階段がキツイ人はそこから登る事ができます。東側から登る道路があり、公園入口には駐車場もあるため自動車でも登れます。
登山道から登り始めると、途中にある曲輪らしき空間と切岸。
登山道途中の石積み。
曲輪らしき空間。
山全体にかなり手が加えられているので城の遺構か不明ですが、切岸と曲輪群らしき遺構。
虎口? 門跡? らしき場所。
中の山頂上部には千葉城址の碑が建てられています。
中の山頂上部にある展望台から小城市内方面の眺め。
中の山頂上部にある案内板に書かれた千葉城の図。現在の山そのままの構造で、じっさいに山を歩いて見るとイメージが湧いてくる。ロマンですな~! 妄想がはかどります。
中の山から本城のある大の山を望む。
中の山から大の山にある本城へ続く通路、堀切があっても良さそうだったのですが見える範囲にはありません。ここに突入するのは......準備が必要ですね。
普通の服装だったために中の山から藪を突っ切るのは嫌チョットかんべん、なので、いったん下山して東側から山頂へ続く林道を登る事にしました。
ちょうど麓にある圓明寺の裏から林道が続いていて、頂上まで登る事ができます。この圓明寺には、1330年(元徳2年)に千葉胤貞が本尊として安置した木造地蔵菩薩半跏像(県指定重要文化財)が伝えられているそうです。
このお寺の裏に千葉公園(中の山)へと続く道路と、道路を横切って山頂へと登っていく林道があります。林道は険しいですが自動車での通行は可能で、山頂には駐車スペースもあります。
徒歩で登り始めると、山頂方向へと続く竪堀らしき場所を見つけました。
東側斜面は畑になっています。
中腹からの眺め、佐賀郡佐賀城(村中城)方向。
中腹からの眺め、小城市内、杵島郡方向。なるほど、この場所からだと全盛期の支配地域を一望する事ができます。
大の山東側にある馬蹄状の曲輪と切岸。
主郭の東側、少し下った所にある大きな空間。曲輪跡でしょうか? 絵図では主郭の東側部分、一段下がったところに大きな建物が書かれています。
山頂の平場、かなりの広さがあります。往時のままかは不明ですが、送電線の鉄塔と金毘羅宮が建っています。
山頂北側、4~5メートルくらい下に東西にかなり長い腰曲輪が続いています。ここを降りてみれば、かなり遺構が残ってそうな気がします。が、降りたら登れそうにないので今回はパス。
いや~、佐賀には城址がありすぎて、もう楽しくてしょうがないですね。もっと肥前戦国史をアピールして、千葉城みたいな遺構を整備して見やすくすればいいのに。これだけの城址ですから、私が見つけきれていないだけで竪堀やら堀切やら、土塁なんかも残っているはずなんです。藪に突っ込むのを躊躇して発見できてませんけど。
鍋島藩になってからの肥前国よりも、群雄割拠していた室町から戦国時代のほうがドラマチックでとてもおもしろい地域だと思うんです。全国的にみても、幕末ファンよりも戦国ファンのほうが圧倒的に多いはずですし。
中の山「千葉公園」の案内板から中世肥前国の勢力図。
もうね、この群雄割拠図をみただけで、ワクワクしますよね。これだけ多くの群雄がさまざまに争ったりくっついたりしながら、龍造寺隆信の勢力に一本化されていく過程を追いかけるだけでも楽しいです。各家にドラマがありますし、遺構もたくさん残っていますからね。
市や県はどうも観光の目玉として幕末から明治維新に拘りたいみたいなので、当サイトでは中世の遺構を巡って戦国時代のおもしろさを伝えられるように頑張ってみようと思います。
せっかく凄い数の戦国時代の遺構が残っているのに、メチャメチャもったいない。じっさいに歴史を解明していくような学者先生のような事はできませんが、とにかく公開されている情報を元に遺構を訪ねて紹介していきたいと思います。
とういうことで、肥前千葉城を紹介しました。近くには「清水の滝」や、小城羊羹で有名な「村岡総本舗」の本店と羊羹資料館なんかもあるのでおススメの観光スポットですよ。
toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
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