三島市観光協会によって作成された山中城の公式パンフレットです。
貴重な中世の山城
山中城は、戦国時代末期の永禄年間(一五六〇年代)に、小田原に本城をおいた後北条氏が築城しました。その後天正十七年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え急遽堀や岱崎出丸等の整備、増築を行いました。しかし翌天正十八年(一五九〇年)三月二十九日、増築が未完成のまま、四万の豊臣軍の総攻撃を受けました。北条軍は四千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝えられています。このときの城主松田康長、副将間宮康俊、豊臣方の一柳直末等武将の墓が三ノ丸にある宗閑寺境内にあります。四〇〇年前の遺構がそのまま復元されている山城は全国的にも非常に珍しいものです。堀や土塁が良く残っており、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置など箱根山の自然の地形を巧みにとり入れた山城の作り方など、目を見張るものがあります。昭和九年(一九三四年)国の史跡として指定されています。