川越城
川越城

[埼玉県][武蔵] 埼玉県川越市郭町2-13-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.42(77位)
  • 見学時間:1時間(74位)
  • 攻城人数:2722(43位)

川越城の七不思議

太田道真・太田道灌父子が川越城を築城した際に城内の天神曲輪に移転した三芳野神社(みよしのじんじゃ)の境内には「川越城の七不思議」と書かれた案内板が設置されています。

川越城(かわごえじょう)の七不思議(ななふしぎ)
一、霧吹(きりぶき)の井戸
 城中に苔(こけ)むした大きな井戸があった。ふだんは蓋をしておくが、万一敵が攻めて来て、一大事という場合には、この蓋を取ると、中からもうもうと霧が立ち込めて、城は敵から見えなくなったという。そのため、川越城は別名霧隠城(きりがくれじょう)ともいわれる。

二、初雁(はつかり)の杉
 川越城内にある三芳野(みよしの)神社の裏には大きな杉の老木あった。いつの頃からか毎年雁の渡りの時期になると時を違えず飛んできた雁は、杉の真上まで来ると三声鳴きながら、杉の回りを三度回って、南を指して飛び去ったということである。そのため、川越城は別名初雁城ともいわれている。

三、片葉の葦(あし)
 浮島稲荷(いなり)神社の裏側一帯は、萱(かや)や葦(あし)が密生した湿地帯で、別名「七ッ釜(かま)」といわれていた。ここに生える葦は不思議なことに片葉であって、次のような話が伝わっている。
 川越城が敵に攻められ落城寸前に、城中から姫が乳母(うば)と逃げのび、ようやくこの七ッ釜のところまでやって来たが、足を踏みはずしてしまった。姫は、川辺の葦にとりすがり岸にはい上がろうとしたところ、葦の葉がちぎれてしまい、姫は葦の葉をつかんだまま水底へ沈んでしまった。この辺の葦は、この姫の恨みによってどれも片葉であるといわれている。

四、天神洗足(みたらし)の井水(せいすい)
 大田道真(どうしん)・道灌(どうかん)父子が川越城を築城するに当たって、堀の水源が見つからず困っていたところ、一人の老人が井水で足を洗っているのに出会った。この老人の案内によって水源を見つけた道灌は、かねての懸案を解決し、難攻不落の川越城を完成させることができたといわれている。かの老人の気品にあふれた姿に気がついた道灌は、これぞまぎれもない三芳野天神の化身(けしん)であったかと思い、以来これを天神洗足の井水と名づけて大事に神慮にこたえたという。

五、人身御供(ひとみごくう)
 川越城築城の際、太田道真、道灌父子は、三方(北、西、東)の水田が泥深く、築城に必要な土塁(どるい)がなかなか完成せず苦心をしていたところ、ある夜龍神が道真の夢枕にたって、「明朝一番早く汝(汝)のもとに参った者を人身御供(ひとみごくう)に差し出せばすみやかに成就(じょうじゅ)する」と言った。道真は、龍神にそのことを約束をしたが、明朝一番早く現れたのは、最愛の娘の世禰(よね)姫であった。さすがの道真も龍神との約束を守れずにいると、姫は、ある夜、城の完成を祈りながら、七ッ釜の淵に身を投げてしまった。そののち川越城はまもなく完成したという。

六、遊女(よな)川の小石供養
 むかし、川越城主にたいそう狩の好きな殿様がいて、毎日のように鷹(たか)狩りに出かけていた。ある日、供の若侍が小川のほとりを通りかかると、一人の美しい百姓の娘に出会ったので、名前をたずねるとおよねといい、やがてこの娘は縁あって若侍の嫁となったが、姑(しゅうと)にいびられ実家に帰されてしまった。およねは自分の運命を悲しみ、夫に出会った小川のほとりで夫が通りかかるのを待っていたが、会うことができず小川の淵へ身を投げてしまった。やがてこの川を「よな川」と呼ぶようになったが、川の名は「およね」からきているとも、よなよな泣く声が聞こえるからともいわれている。

七、城中蹄(ひずめ)の音
 川越城主酒井重忠(さかいしげただ)は、不思議なことに夜ごと矢叫(やたけび)や蹄(ひづめ)の音に眠りをさまされていた。ある日、易者に見てもらったところ、城内のどこかにある戦争の図がわざわいしているとの卦(け)が出たので、さっそく土蔵を調べたところ堀川夜討の戦いの場面をえがいた一双の屏風(びょうぶ)絵がでてきた。この屏風の半双を引き離して養寿院に寄進したところ、その夜から矢叫や蹄の音が聞こえなくなったという。昭和五十七年三月 川越市
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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