富士見櫓は天守の代用として使用されていた三重櫓です。
名前の由来は、文字通り櫓から富士山を望めたことによります。正確な規模は不明ですが、江戸末期の1866年(慶応2年)に川越城を測量した際の記録によれば、長さ八間三尺(約15メートル)、横八間 (約14メートル)あったと記されています。
埼玉県立川越高等学校南側にあるの小高い丘が当時の三の丸跡で、ここに建てられていました。
現在、跡地には浅間神社と御嶽神社があります。
富士見櫓跡(ふじみやぐらあと)
所在地 川越市郭町二丁目
御嶽(おんたけ)神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。
櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは防戦の足場として、城壁や城門の高い場所に設けられた建物を意味するが、天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱(ひし)櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣(てんしゅかく)の代わりとなっていたと思われる。
今日では、木々や建物のため、すっかり眺望も失われてしまったが、その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めたことであろう。
元来、城の構造及び建造物は戦略上の都合もあって、その大部分が明らかにされることはなく、正確な規模は分からないが、江戸末期の慶応(けいおう)二年(一八六六)に川越城を測量した記録によれば、この富士見櫓は長さ八間三尺(約十五メートル)、横八間(約十四メートル)あったと記されている。昭和五十七年三月 埼玉県