三重グスクは16世紀後半に王農大親(おおのううふうや)によって築かれたグスクです。那覇港を防衛し、倭寇や海藩(中国の海賊)を撃退するための台場(砲台)として築かれました。名前の由来はすでにあった屋良座森グスクの対岸に新造されたため「新城(みーぐすく)」と呼ばれていたのが、その後3つの石橋を架けたので三重グスクとしたのではないかと考えられています。1609年(慶長14年)の薩摩侵攻によって砲台は取り外されました。現在城址一帯は埋め立てられており、「ロワジールホテル那覇」の駐車場にグスクの看板があります。またグスクの中心部には拝所(御嶽)があり、わずかに基礎部分の石積みを確認することができます。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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